大脳皮質基底核変性症|診断から5年のリアル(コミュニケーション編)




大脳皮質基底核変性症|診断から5年のリアル(コミュニケーション編)

母が大脳皮質基底核変性症と診断されてから5年。
おそらく症状が出てきたと思われる頃から10年程度の現在。
このページでは、大脳皮質基底核変性症の母のコミュニケーションのリアルについて記録します。

母ができるだけ機能を失わないようにと考え、
さまざまな分野の専門家に頼ってやってきました。

現在の母の様子を記録することによって、
この先に同じ病気に罹患した人が、さらに工夫をすることで、
経過期間が同じであっても、
母よりも多くの機能を残した状態でいられる可能性に
繋がるといいなと思います。


コミュニケーションが大事なのは、
病気に罹った母だからというわけではありません。

多くの人が自分以外の人と関係性を持つのに、
言葉や身振り手振り、表情などを使って、
よりよい関係を構築した中で時間を過ごすと良い
と感じていることですが、

とりわけ母のように、自分の体のことや症状からくる不快感を伝えたり、
家族以外の人に囲まれて多くの時間を過ごす場合に
自分の気持ちや考えを伝えることが生きる上でとても重要になります。

ところが
この大脳皮質基底核変性症という難病は、
右側に症状が出てきている場合、
脳の言語野がやられてしまい、
言葉を失ってしまう、
そして理解することも失ってしまうことがわかっています。

つまり母からの言葉による表現がなくなり、
次第に私からの語りかけを理解できなくなってしまい、
生きていても全くの孤立(孤独)になってしまう
というわけです。

実際に、そうなったとしても、
母がそれすらわかっているのか、
孤独で淋しいと母の中で感じるのかは、
正直誰にもわかりません。


とにかく言葉を失ってしまわないように、
脳が脱落してしまって機能する部分がなくなったとしても、
「人間の可能性は無限であり違う力で補完するかもしれない」
という主治医のアドバイス
(内部リンク:大脳皮質基底核変性症|難病への向き合い方)
を胸に口周りの力を落とさないようにし、
できるだけ多くの接触機会を持ち話をするように工夫しています。

私がそういう工夫すべきことに気づいたのは、
母に症状が出始めてからなので、
この母の記録により、もっと先手を打って、
早い段階から臨めば、
その人らしさを失わず生きていける可能性があると考えます。


外部リンク参照:難病情報センター大脳皮質基底核変性症とは








1.過去との比較



1年半前の状態と比較(202301の記事と比較)します。

内部リンク:大脳皮質基底核変性症|コミュニケーション

●構音障害

  • ①はっきりと言葉として聞き取れる場合

  • ②はっきりと聞こえないけれどこちらが聞き取ろうとして想像することで言葉を聞き取れる場合

  • ③全く言葉として聞こえない場合


①:②:③は
2022年12月時点では
7:2:1

2023年01月時点では
2:3:5
だったのが

現在(2024年09月時点)では
1:2:7

施設スタッフさんから聞く話も含めた私の感覚的割合です。

はっきり言葉として聞こえるのは
挨拶や返事。
「痛い?」と聞かれて「痛い」と答えるなどかなり限定的です。

今月の通院時に主治医からの呼びかけに対して
挨拶をし、母から少し長めの言葉が出てきました。

こんにちは!
こんにち※△□

※〇□◇?△※◇?△※〇□◇?※〇□◇?△※◇?△※〇□◇・・・

意外にも、いつになく長めの言葉が出てきたのですが、
主治医も私も全く聞き取ることができませんでした。

でも、声のトーンや声音から私が想像すると、
自分の辛さを訴えたのだと思います。

母と長く接する私は、母の様々な様子から
想像する力が自然と身についているので
主治医と向き合ったときに、
話すであろうことを想定でき、
言葉ではない言葉が聞こえてくるのかもしれません。

言葉について長い目で見ていますが、ボキャブラリー、言葉の数が明らかに減っていますね。

現時点で
1:2:7
だとしても

以前より言葉を発する回数がぐんと減ったので、
言葉として聞き取れている割合は1でも、
数量的には過去と比べ物にならないくらい少ないのです。

時々、ベッド上で何かを訴えている様子で
少し大きめの声を出しているとスタッフさんから聞きます。

おそらく体調が良くないときですが、
不快感を声に出すことはできます。

大きな声を出すこと自体は嚥下機能の維持にも良いことなので、
施設のスタッフさんたちが傾聴してくれますが
どんなに想像しても言葉として聞き取れることは
少ないということです。


2.会話力



お母さん、コーヒー飲みたい?
・・・・・あ・・い


私が話している言葉を理解し、
自分の気持ちを伝えることができています。

ただし、返事までには時間がかかります。

たまにやってしまうのは、
母の返事がないなーと思って、次の語りかけをしてしまい、
母の返事と重なってしまうことがあります。

そうなると、母は目を瞑ってしまいます。

うまく話せなくなってきたときに(診断後2年を過ぎた頃)
母は
「私の話は通じる?」
「私が話している言葉はちゃんと聞こえる?」
と私に何度も聞いてきました。

「こんな病気だから」と人と話すのが恥ずかしいと
頻繁に言っていたことがありました。

「私の言葉、変でしょう?相手にとって聞きづらいかなと思うとあまり話をしたくなくなる」
と言っていました。

話すことに徐々にコンプレックスを持つようになっていたので、
もしかすると、自分の言葉が通じないことをわかっていて、
諦めて目を瞑ってしまうのかもと思っています。


3.理解度



話題は母が想像しやすいことを中心にしています。
話しかけても覚醒していないときがありますが、挨拶をすると目を開けます。

お母さん、来たよ
あー・・・い


渋滞していて遅くなっちゃった
あー・・・い


同じ「あー・・・い」でもトーンが違ったり、
内容によっては顔をしかめて悲しそうな顔をするので
母は私の言葉を理解しているようです。

最近、ちゃんとわかっているんだと思った出来事がありました。

暑さもやわらぎ散歩に出掛けたときのこと。
近くの神社へお参りにいきました。
ずっと暑かったので夏の前に来た以来です。

道すがら話しかけましたが、何の言葉を発することがありませんでした。

神社に着いて「お参りできる?」と聞いたら
母はすっと手をあげてお参りしました。

言葉に出てこなくても
きちんと理解していることがわかりました。

今がどこにいて
どうするべきなのかなど。

母の返事が何もないと、
母は何もわからなくなってしまったのかな
と思いますが、状況を理解する力が残っています。

言葉のやり取りだけがコミュニケーションではなく、
母の行動が母の言葉であると捉えて
母の行動をしっかり拾い上げて、私は次の言葉を母に伝える。

このやり取りが今の母と私に残されたコミュニケーションです。




4.まとめ

私たちは人と人を繋ぐ言葉を使って、
自分の意思を相手に伝え、相手の意思を受け取り理解し合っています。

でもその言葉を失ってしまったら、
母と理解し合えないのかといえば、そうではないと私は信じています。

私はできれば母と言葉のキャッチボールをして
話をしたいと願っていますが、
今はその願いが叶わなくなりつつあります。

その代わり、
母の行動を引き受けて、
それを言葉に置き換えて受け取り、
次に私から言葉を伝える。

これが私たちに残されたコミュニケーションです。

母が人として母らしく生きていけるように、これができるだけ長く続きますように。

言葉を失ってしまう大脳皮質基底核変性症ですが、
「言葉を失う」のがどういう状態なのか、
私は自分が体験するまで想像できなかったため
現実味がなくここまで来てしまいました。

のタイミングでコミュニケーションについて考えてきたつもりなのですが、
現実は想像を超えています。


診断から5年、発症から10年程度。
大脳皮質基底核変性症の様々な症状が出揃ってきました。
「言葉を失う」「静かになる」ことは本当でした。


大脳皮質基底核変性症|水分摂取 (内部リンク)にあるように
「魔法のランプでお願いを叶えてもらうなら」

いまの私なら、

もう一度母と話をしたい

とお願いしたいです。

それくらい、言葉を失うことは、とても悲しいことなのです。




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