大脳皮質基底核変性症|母とのコミュニケーションで心掛けていること




大脳皮質基底核変性症|母とのコミュニケーションで心掛けていること

このページでは大脳皮質基底核変性症を患う母の闘病記、母とのコミュニケーションで心掛けていることについて記録しています。

大脳皮質基底核変性症の症状に現れる「構音障害」や「失語」は、人と人との繋がり方<コミュニケーション>に大きな影響を及ぼします。
自分の気持ちを相手に伝えることができ、また相手の言葉を聞いて言葉を返しそれが続く言葉のやり取りがコミュニケーションですが、構音障害で相手にうまく伝わらなかったり、話すこと自体を失ってしまったら人と人のつながりがうまく成り立たなくなる恐ろしい症状です。

母はいずれそうなります。
それがいつなのかがわからないというのがこの病気の特徴ですが、ただただ手をこまねいているだけではなく心掛けていることがあります。

難病情報センター:大脳皮質基底核変性症とは<外部リンク>






1.主治医から言われたこと

以前の通院時に主治医から言われた言葉が私の心に留まりました。

言葉が話せなくなるのとセットで咀嚼が落ちます。
咀嚼、喉は言葉を話す神経と同じなので気を付けてみてください。



この言葉を聞いてからできるだけ母とはコミュニケーションを取ることにしています。
なぜならこの病気による最悪な事態(死因)のひとつが誤嚥性肺炎だからです。
言葉を使う力(言葉を発する部分の筋力)を落とさないことでもしかしたら誤嚥リスクを下げることができるからかもしれないからです。



2.心掛けていること

◆ 会話が途切れないようにテーマをいくつか準備をしておく

答えようとして答えれないときや、話題が終わってしまったときにはすぐに次の話題を出せるようにしておきます。
お天気のことや寒暖のことなどは、当たり障りなく話が続くので最適な話題です。



◆ 難しい話ではなく簡単に続くようなテーマにする

想像しやすい日常の出来事のテーマにします。
施設にいてベッドに横になっている時間が多いとテレビの話やニュースなどの話題を振ってもすぐに切り替えて答えることができません。
切り替れなくて言葉が出てこないのか、話題がわからなくて言葉が出てこないのかわからないので当たり障りのないお天気や寒暖の話題にします。
食事のメニューなど話題は忘れてしまっていることもあるため会話が終わってしまうことが多いので避けます。



◆ 私の小さい頃の話をする

私の幼い頃の話をするときには母の年齢が何歳だという情報も付け加えて話します。
その当時の記憶を思い出すことが多く、会話が弾みます。
当時の情景(家の間取り、近所の人の話、音)なども言葉にするとそれをきっかけに話がはずみます。



◆ 答えたいのに詰まって答えにくそうなときは少し待つが長くは待たず「そうなんだねー」と引き受ける

母は言葉が出ないときは頭の中が熱くなると以前に表現しました。とても息苦しくなると肩で息をしたこともあります。
少し言葉が出ても詰まってしまったとき、話し出そうと息を吸ってそのまま言葉が出てこないときは、傾聴の姿勢を見せつつ「わかった」という理解を示し、次の話題へと変えます。
そうすることで本人が必要以上に「話さなくちゃ」というストレスを感じなくてもよくなります。
話題が変われば言葉が出なくて苦しかったということを流せます。



◆ 私が困っていることを相談する

母娘の関係はいまだに存在します。母はずっと私の母の立場なので「どうしよー」と困っていることを話すとアドバイスをくれます。
そういうときの言葉は意外とスムーズです。
それは母親というポジションに立つことで言葉が表現しやすくなるのかもしれません。
母の得意なことだとよりスムーズです。母は洋裁が得意だったのでその困りごと、特に失敗談を相談すればちゃんと回答をくれます。



◆ オープンクエスチョンにする

YESかNOかで終わるような話はあまりしません。「どう思う?」と聞くだけで話が拡がります。



◆ 座位で話す

ベッドから車いすに移乗し真正面ではなく斜めに向き合って話します。
とくに外の空気が吸えるベランダに出たり、玄関のベンチに行って話したり、共同の食堂で話をすると気分転換とともに会話が続くので口のあたりの筋肉にもよく効きそうです。




今日はぽかぽか陽気だよ。お花がたくさん咲いているよ。
お花を見に散歩に行きたいな
どこまで行けそう?

神社でお参りしてから公園に行きたい


まとめ

「少しでも同じ状態を維持すること」これが母と私の目標です。
「難病だから」「症状が出てきても仕方がないね」と手をこまねいているわけにはいきません。
「今」の状態をちゃんと見て、何かできることがあるはずだと思っています。
それは母と私にとってそのときにできる最適なことであり、他の誰かには当てはまらないかもしれません。
母が難病と闘っているので私も何かできることはないかと探し続けること、それが病気の母に寄り添うことだと今は思っています。


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