大脳皮質基底核変性症|胃ろう造設後のリアル(家族側)




大脳皮質基底核変性症|胃ろう造設後のリアル(家族側)

「大脳皮質基底核変性症」の母が行った「胃ろう造設」について回を分けて記録してきました。
胃ろうについて(前編)
胃ろうについて(後編)
胃ろう造設について

今回は母が胃ろう造設をしてから、介護する側(家族側)にどんな変化があったのかを記録します。2024/03/01

(この先を読み進めると、捉え方によっては不快に感じるかもしれません。
読み進めるかどうかの選択をお願いします。)




1.体力的な負担



母は胃ろう造設後、熱発もなく、体力がついてきたのか、
ベッド上で足を動かしたり、
車いすへ移乗の際に、一歩足を出そうとしたり、
動く左手に力が入り上にあげようとしたり、
誰の目にも見える変化があります。

自発的な言葉や自分の意思表示など、
言葉を失っていく症状のある大脳皮質基底核変性症ですが、
言葉も少し増えました。

スタッフさんと言葉のキャッチボールをすることもできます。

声に張りが出てきて、
大きな声を出すこともできるようになりました。

離床時間を確保し、
車いすで座位を保つことも以前のようにできるようになりました。


この落ち着いた状態により
私の体力的な負担が確実に減りました。



以前の私は、
母の食事量が気になり、
母が食べることができるよう声掛けをしたり、
施設側スタッフさんと一緒に食事を盛り上げたり、
施設側が母の食事の意欲の低下に手をこまねいていたのに気づきそれに応えるために滞在時間が長引いたり・・・。

熱発の際には、
仕事が終わってから母のところへ行き、
不安でいっぱいの母のそばについていることで、
少しでも安心させてあげたいと私が思ったり。

施設から熱があると連絡をもらい、
その後駆けつけたくなるわけです。居ても立っても居られず。

施設側も時間帯などの制限がなかったので、
私にとって可能な時間で
母のところへ行くことができたのは良いのですが、
どうしても無理しがちで自身も若くないので疲労困憊でした。

2.精神的な消耗

母が昨年の秋ごろから食べ物をほとんど食べれなくなり、
それでも母が食べたいというものはすべて試してきました。
施設側と相談しながら。

見たからに、どんどんやせ細り、
実際何も口にしていない姿は
それはそれは私にダメージを与えました。

どうしても悪いことばかりを想像し、
自分の食事量や外出先で見かける同じ年頃の方の食事量などと比較しがちになり、
常に頭の中には
「食べなかったらいつどうなるんだろう?」
「この先どうやったらいいのだろう」
そればかりになりました。

現在胃ろう造設により必要な摂取量を必ず取れるので、
お楽しみ程度にコーヒーにとろみをつけ、
母の好きなプリンやシュークリームなどを口にしている姿を見ると、
ほっとします。

3.時間な負担

24時間のうち、母のことに関わる時間を計算しながら、
自分の生活とのバランスを考えることで、
私はいろいろなことと両立をしてきました。

精神的な消耗は、
常に頭の中に母への心配が存在し続け、
母のところへ毎日駆け付けることで
母に関わる時間がどんどん増えていました。

母が胃ろう造設をしてからは、自分の生活と母の生活を切り分けて考えれるようになり、自分軸の時間を取り戻しています。



4.終わりの見えない介護

「介護をしなければならない」状況下では、先を見てしまう場面は多くあります。

時間的負担や精神的消耗に体力的負担。
介護するのは老親であれば、
自分の年齢も気になる歳頃です。

今より若い頃に考えていた「介護」に対する考え方は大きく変わりました。

それは「介護」が自分ごとになったことです。


年齢を重ねれば自分が介護されることを想像できるようになるからだと思います。
そうなると不思議ですが、
親と一緒に老いていくのは必然だと思えるようになりました。

生命に関わる変化を間近で見ているより、
毎日同じ状況が続くことが
何よりも楽になってきます。
終わりの見えない介護に苦しみながらも
終わりの見えない介護に流されていく
それがある意味心地よいのかもしれません。

5.まとめ




身近な人に「お母さんもあなたも明るくなった」と言われることが多くなりました。

確かに気づけば、
緊張で知らず知らず力が入っていた肩こりや頭痛がなくなり、
私を支配していたどんよりした気分が晴れたことは間違いありません。
自分軸の時間を持ち、母の介護とは違う時間を持つことができるようになりました。

母が胃ろう造設をしてからというものの、
私の体力的負担や精神消耗、時間的負担が軽減されたからです。

胃ろうをするかしないか迷っていた頃を思い出すにつけ、
母にとっては胃ろう造設は成功だったと感じています。

これほどまでに回復するとは思ってもみなかったからです。

そしてそれに付随して介護する側(家族側)も楽になって元気になれるということは、
全く想像していませんでした。


胃ろう造設はもしかしたら「終わりの見えない介護」にずぶずぶと足を踏み入れることかもしれません。

でも母が生活しやすく、
母の尊厳を守りながら、
人間として生きていく手段のひとつであり、
私たち親子にとって小さな希望であったことは間違いありません。


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