大脳皮質基底核変性症|胃ろうについて(前編)




大脳皮質基底核変性症|胃ろうについて(前編)

このページでは大脳皮質基底核変性症を患う母の闘病記(胃ろうについて(前編))を記録しています。2023/12/15

(この先を読み進めると、捉え方によっては不快に感じるかもしれません。
読み進めるかどうかの選択をお願いします。)


人が口から食べ物を摂れなくなったとき、必ずといっていいほど、議論が必要となる「胃ろう」。
母が難病に侵されているとわかってから、情報を集めていくうちに、この大脳皮質基底核変性症は「誤嚥性肺炎」や「嚥下障害」が原因となることで、最期を迎えることが多いということがわかりました。
それはこの病気の症状である「失語」から喉のあたりの衰えが加速するということも主治医と毎月話していくうちに理解できるようになりました。
そのなかで私なりに考えてきた
「人が生きる」ということ。
「母が自分の力で母らしく生きる」ということ。

それがとうとう「胃ろう」と結びつくときがやってきました。

難病情報センター:大脳皮質基底核変性症とは<外部リンク>



胃ろうについて



「胃ろうとは、胃内と体外を結ぶ管状の瘻孔(ろうこう)のことをいいます。胃ろうは、胃に穴をあけて専用のチューブを挿入し、栄養補給をする方法であり、人為的かつ意図的に形成されます。」
引用:公益財団法人長寿科学振興財団胃ろうとは<外部リンク>

「胃ろう」は父の介護のときにも直面した問題ですが、母のときとは状況や年齢も異なります。

父が誤嚥性肺炎で入院をして、唾液でも誤嚥性肺炎を起こしていたとき、父の主治医から言われた言葉があります。

それは
「人は口から食べ物を摂取できなくなったとき、それはある意味生命の終わり、寿命だということです。」
という言葉です。
そのうえで、今後どうしますか?という判断を家族がするということだと言われました。
そのとき母と私とで父の命の先をどうするか選択をしなければなりませんでした。
深く重い選択だったため、当時のこと、つまりその主治医の言葉の声音も、その場の空気感も、いまでもはっきり覚えています。

そして何よりも、父は「延命治療はしない」と言い続けていたけれども、父のその時点での意志は「生きたい」であったこと。

また胃ろうに反対であった母も弱りゆく父を見て「生きていてほしい」と願ったこと。

それで、父は「胃ろう」という選択を選びました。
ただし、胃ろうを進めていく検査の段階で、胃瘻(胃ろう)造設はできないという検査結果により経管栄養を選択しました。
いま母の場合の選択をするにあたり、これらのことを思い出しています。

多くの人に聞いてみた

数か月前から「胃ろう」について、いろいろな人と話し、私なりに情報を集めてきました。
なぜなら、父のときから数年経過しており、その当時と今とでは、抱く考えが異なるからかもしれないからです。

話を聞いた人は

  • ケアマネ

  • 療法士

  • 難病の会に所属する経験者

  • 介護士

  • 看護師

  • 最近ご両親を見送った友人





ケアマネ(親の介護をしている)


「胃ろう」をすることで、メリットもあるけれど、当然同じくらいのデメリットがある。
お母さんが胃ろうをして、るしこさんと一緒に食事を摂ったり、話をすることができるようになるかもしれない。
でも、胃ろうを始めたら、途中でやめることはできない。
お母さんがこの施設のこの部屋でずっと生き続けるという現実があるということ。
本人の意思と家族の意思というのは必ずしも同じとは限らない。
「お母さんに確認してみましょう。私も同席します。」
とおっしゃいました。




療法士(ご家族に難病の方がいる)


「胃ろう」をすることで、今まで口から摂取していた分以上の栄養が摂れるようになると、十分な栄養により、体調が落ち着くかもしれない。
脱水予防、褥瘡予防にもなる。
毎日安定した生活を送ることができるようになるかもしれない。
胃ろうだけの選択ではなく、経管栄養やCVポートで様子見をしてから胃ろう増設を考えてみるのもありではないか。




難病の会に所属する経験者(1年ほど前に親(80代後半)を難病で亡くした)


そのときというのは取り乱すもの。
事前に「胃ろうはしない」「救急搬送はしない」と決めていた。
にも関わらず、その瞬間「助けてほしい」と主治医に電話で懇願していた。
が、主治医から「今まで十分に辛い思いをしていたお父さんが寿命を迎えようとしているのに、もう一度生きて、苦しみを続けてとあなたは言うのか」と問われて、ハッと気づいたそう。
その瞬間は、本人の意思ではなく、家族の意思で生命が決まるのだと実感。
今振り返ると、その判断に間違いはないと思っている。
「あのときはこうしてあげれば良かった」と亡くなった後しばらく後悔したけど、どんなにやっても後悔すると気づいて今は後悔が思い出に変わったとのこと。




介護士(施設スタッフとして入所さんとの別れに立ち会ってきた)


たいていの人は救急搬送を希望する。
どんな状況でも「生きている」ということが周りの家族を助けているのかもしれない。
「胃ろう」だけに限らず、口から食べ物を摂取できなくなっても生きる方法が今の世の中ある。
経管栄養もCVポートという方法も。
るしこさんが元気に安定して暮らせるのが、お母さんが生きていることであればそれを選択する方がいい。
今まで見てきた中で、施設で一晩という時間をかけて見送った人もいる。
その方も娘さんでお母さんのそばにいて、命の尽きるときまで一緒に過ごした、緊急搬送は希望しないということで。
その娘さんは最期までお母さんのそばで一緒に過ごせて良かったと言っていたよ。




看護師(病院で多くのそのときに立ち会ってきた)


病院勤務のとき、人は思い通りの最期を迎えることはできないと思っていた。
でもここ(施設)で勤務するうちに、そうではないのかと思えるようになってきた。
自分の親が胃ろうを必要とするときが来るのかどうかわからないが、できるだけ親に自分の人生を選んでもらって思い通りの最期を迎えることに添いたいと思うようになった。
胃ろうや経管栄養などの方法で、人が必要とする栄養を体内に入れることで、褥瘡予防になる。脱水予防にもなる。
リスクはないわけではないが適切な管理で体を整えてほしいと思う。




最近ご両親を見送った友人


親がこの世に存在しない今、いてくれたらなと思うと、もっと延命をすれば良かったのかとも考える。
でも、親が苦しいのを見ているのも辛く、これ以上私たち子どものために生きなくてもいいと思って、点滴から栄養を抜いてもらった。
それで良かったし、それが良かった、そのとき選択したことは間違っていなかったと思う。

母は何を想う

「胃ろう」について、母に母の希望を尋ねたときは言語のリハビリを入れるにあたり施設の往診医との面談があったタイミング<内部リンク>です。

胃ろう増設をする場合
・病院(この施設とは別の場所)に入院しなければならない
・それが1週間かかること
・その間は環境が変わってしまうこと
・何より私が病室へ入れるかどうかわからないこと(コロナやインフルエンザによる面会制限のため)
を伝えました。

その際の母は「それなら胃ろうはしない」という答えでした。

「胃ろう」をして生きたいのか、そうではないのかと聞いているので、それはすぐに答えれるような内容ではありません。

母は毎日を懸命に生きているのに、その質問は最期を意識(予想)させてしまう問いかけになってしまい、生きる希望を失くしてしまうのではないかという不安が私にありました。

その言葉が母を傷つけてしまうのではないかと思いました。
おそらく、思ったとおり、母は口を一文字に結び、悲しそうな顔になったことは言うまでもありません。

そして、その1か月後に、ケアマネさんが同席して、ケアマネさん主導で母に聞きました。

母は「もう少し考えたい」とケアマネさんに答えました。

もしかしたら、「こんなことを聞くなんて!」と私に対して思っているのかもしれません。
さて、母は何を想う……。

他の記事はこちらから…介護記事一覧

ページトップへ戻る