大脳皮質基底核変性症|胃ろう造設
このページでは大脳皮質基底核変性症を患う母の闘病記(胃ろう造設)を記録しています。2024/01/16
(この先を読み進めると、捉え方によっては不快に感じるかもしれません。
読み進めるかどうかの選択をお願いします。)
大脳皮質基底核変性症の母の胃ろう造設について「する?しない?」と悩み続けてきました。
母の意思を確認することができず、拒否でもなく賛成でもなく迷っている様子。
そうした中で
周りの人に相談し多くの情報を集め(
詳しくは胃ろうについて(前編))
主治医にこの難病大脳皮質基底核変性症の場合の胃ろう造設について教えてもらいながら(
詳しくは胃ろうについて(後編))
母の場合どうすべきか考えてきました。
私が得た情報を母に伝え、母にどうしたいのかと投げかけてきました。
ケアマネさん同席で質問したときは「もう少し考えたい」と答えた母。
その後、幾度となく母とふたりで話をしてきました。
母の出した答え
あるとき、母が胃ろうに対して否定的ではないのかもしれないと感じたことがありました。
母は発話が少ないなりにも自分の気持ちを伝えることができています。
それは施設でお世話になっている介護士さんも教えてくれるのですが、「るしこさんのお母さんはちゃんと自分の意思がある」と。
胃ろうの話のときに口を一文字に結んだまま、険しい顔をします。
目を瞑って考えている様子もあります。
でも「(胃ろう)しない」とは一度も言わないことにふと気づきました。
「胃ろう」について父の介護の時から母は充分に理解しています。
・胃ろう=延命
・延命したら自分の面倒を、るしこにみてもらわないといけない
・お金もかかる
ということをもしかして心配しているのではないかとふと気づいたのです。
母らしい考えです。
そこで
命のあるかぎり
・今までのように母にまつわること(手続きや保証人)をすること
・今までと変わらず母に会いに来ること
・金銭面から施設生活が続いても良いこと
・「延命」という考えが先行してるだろうけど、口から食べ物を摂れないため「治療」であること
を私から伝えました。
そのあと母から「胃ろうする」と意思表示がありました。
選択
今回の通院では、まず血液検査がありました。
もうほとんど口から食べ物を摂れていない状況での血液検査の結果、先生から「栄養状態が悪化しています。胃ろうの造設をした方が良いと思います。どうしますか?」と聞かれました。
この質問をするときに答えを用意しておいてくださいと言われて数ヶ月。
多くの時間をかけて、悩んだり、迷ったり、母の意思確認もすることができました。
その結果、その瞬間迷うことなく母の意思と私の覚悟を伝えることができました。
胃ろう造設が可能かどうかの検査をすでにしていたので、その後スムーズな運びとなり、母はそのまま入院となりました。
- できるだけここを短く、お母さんに負担少なくするために、準備をしてきましたので、ベッドの予約もしてあります。 消化器内科の先生にも相談して話をすでに通してあります。
なぜなら
母の入院が長くなると
・環境の変化
・施設より会話のタイミングが少ないこと
・面会制限があり私と接触する時間が少ないこと
これらが、母が話す力を失ってしまうことに結びつくかもしれないからです。
主治医の綿密な計画のもと、即入院、手術という運びになりました。
ひとりで背負わない
胃ろうをするかしないかの選択は
家族がいたら家族の数だけの答えがあり、一概にこれが正解というのもありません。
本人の意思確認ができれば、
自分の考えと異なる答えだったとしても、
本人の命なので、
尊重する必要があると思います。
本人の意思確認ができない状況であって、取り巻く家族全員が同じ意見になるかどうかそれもわかりません。
命に関わる究極の選択をしなければならないので
誰かひとりだけの意見になってしまうと
何か起きた時に
その決断した人にすべてが向かいます。
その人が責任を感じたり後悔してやまない状況を作らないためにも、その決断を分散させる必要があると思います。
これは施設にいた看護師さんからの助言です。
「多くの人に意見を聞けば聞いた数の分だけ答えがある。
これじゃ決められないと思うかもしれない。
でも、自分の親だからといって、あなたひとりで決めたら何もかも背負わないといけない気持ちになるでしょう。
正解はないし、それが正解なので、ひとりで背負う必要なんてないんだけれども。」
「胃ろう造設」は自分だけの問題ではないことを私は知りました。
大脳皮質基底核変性症の母だからというのではなく、
介護を必要とする場合において、
本人だけの意思が大事だとはいえ、
周りの協力が欠かせません。
本人の意思を確認することが大事だということですが、
父や母は「胃ろうはしない、延命だからしない」と体が自由に動かせるときに言っていました。
人は自由が利かなくなったり、辛さが伴ったとき、ずっと同じ気持ちであるかどうかわからないということが私にはよくわかりました。
当然、私の今の意思は「私は胃ろうしない」ですが、変わるかもしれないということですね。
そういう中でも、介護において、ひとりだけの問題ではなく、ひとりだけに集中させず、周囲とタッグを組んでやっていくことだけは確かな事実だと思いました。
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