大脳皮質基底核変性症の母を介護する、苦しい長期間介護

母は大脳皮質基底核変性症と診断されました。
詳しくはこちら:難病情報センター…大脳皮質基底核変性症(指定難病7)<外部リンク>

月に1度通院。主治医から「統計的に罹患者が少ないので大脳皮質基底核変性症はこうなるということが言えない」と言われる中で、大脳皮質基底核変性症と診断された母を介護していく経験情報を記録しています。

大脳皮質基底核変性症は患者数が少なく、母に関わる人たちも私同様に「同じ症状の人に出会ったことがない、知るとすればネットの情報を検索して知るくらい」という状況なため、母の起こす行動や言動を理解することがとても難しいのです。
例えばまっすぐに座っているのに母は「怖い、倒れてしまいそう」と執拗に訴えるけれど、見た目にはちゃんと座っているので周囲は「構ってほしくてわがままを言っている」と思ってしまったことがあります。
でもこの普通に座っているのにも関わらず「倒れてしまいそう」なのは症状のひとつであり、同じことをずっと言い続けたりすることは「保続」という症状のひとつだそうです。
ずいぶんあとで知りました。
つまり周りに理解してくれる人がいないのでそれまでずっと周囲に理解されずトラブルになって母は孤独で苦しい思いをしてきたと思います。

また「典型的な症状に乏しいのでだいたいはこうなっていくだろうけれど、必ずそうなるとは言えない、個人差もある」という主治医の言葉とおり、母の介護は全く先が見えない。
「同居して介護すべきなのか、通い介護でやっていけるのか、施設入所すべきなのか」「施設の場合、どんなことを優先して選べばいいのか」などなど私のかかわり方もお金の問題も先行きの不安しかない状況です。

そんな大脳皮質基底核変性症の母の介護をわかりやすく例えるならば登山。
山を見上げれば雲に覆われて
どんな勾配なのか
どこまで行けば息をつけるのか
足元は草が茂っているのか
石ころなのか
全くわからない中、前を向いて進むしかない登山です。

現在も介護登山中です。常に進行形であり長期間になっています。
大脳皮質基底核変性症の特徴のひとつである「徐々に進行していく」状態に合わせて対応していくことが長く続いています。

私の場合、母の大脳皮質基底核変性症の介護登山が始まったのは7年前。その3年前に父の認知症の介護が始まっているのでダブルMountain、登山歴は10年弱といったところです。
日常生活の中に「介護」という行動が取り込まれてから長くなると特別な感じはしなくなりますので息切れしそうな感じということにも気づかなくなります。

  • 症状が出始めてから4年経過
  • 症状があっても稀な病気のため診断されにくい
  • 「介護」期間の中でも辛く長い時間



主治医によると全国で数千人という有病率の「大脳皮質基底核変性症」と診断されるまでに4年。

その期間に母自身で回った病院は数知れず。
通院先からの紹介で行った病院は片手で足りず。

「整形外科」「心療内科」「精神科」「脳外科」「耳鼻科」「内科」「パーキンソン専門科」など回った病院の数々で検査を行うものの「気のせい」「深く考えないで」「神経質だ」等々言われて途方に暮れたことも多々。

私も母に「先生が気のせいだというのなら気にしないで生活する」ことを提案したり、症状を訴える母を無視したり放置したり、途方に暮れて母のそばから逃げ出したこともありました。
その4年間は母の訴えは執拗に続き、私はその訴えに耳を貸し、病院まわりをすることに付き合い、病院では「気の迷い」と言われ落胆し、何をしても何も解決できない状況と先も何もかわらないという地獄でした。

「医師の診断」が出なければ、大脳皮質基底核変性症の症状がいくら出ていても「病気ではないので気を確かに持って他のことに集中して生活しなさい」と言われるわけですから私だけではなく母が一番辛かったのだと今になればよく理解できます。
が、その当時は「気のせいに違いない」と母と自分に言い聞かせ、執拗に症状を訴える母から逃げ出したい気持ちがあったことは否めません。

診断が下りたのはすでに脳の萎縮が進行しそれが画像結果として明らかとなったからです。
母の痛みや手の違和感はずっと不定愁訴レベルだと判断されてきたのが、一転して「大脳皮質基底核変性症」という診断がおりました。

その日のことを例えるならば「解放感」というのか「診断が出た!出た!」という「誇らしげな気持ち」というのか「達成感」というのか。不謹慎ながら。
なぜかホッとした気持ちにもなりました。やっとこのモヤモヤしたものから解放されると。
この病気をちゃんと理解して向き合っていこうと思い決起集会レベルの高揚感があったことを覚えています。
この先にどんなことが待ち受けているのか想像もできないで。

「難病介護|大脳皮質基底核変性症|苦しい長期間介護」はどんな内容?
【Chapter1】発症から診断まで(経緯・制度・症状・介護)
【chapter2】診断されてからその後(経緯・制度・症状・介護)
【chapter3】症状が進行(経緯・制度・症状・介護)

時間軸を3つにわけて概要を記録します。


症状が出始めてから「大脳皮質基底核変性症」と診断されるまで

【CHAPTER1】発症から診断まで

先生、右手が痛いんです。こうなんか違和感があるんです。(手を宙にあげて握るしぐさを繰り返す)
湿布を出すので様子見しましょう。
右手の上から肘までの間に痛みがあります。(手を上げて握るとピクつく状況)めまいもあります。
検査結果は異常なし、他の科に行った方がいいかもしれないですね。
パーキンソン病かもと言われて〇〇病院の紹介でここに来ました。手の動きがおかしいんです。
歩き方を見たけどパーキンソン病とは診断できないですね。

経緯

  • 2014年 症状が出始める。

  • 2015年~2018年 病院を紹介してもらうも「異常なし」「気持ちを切り替えて生活して」と言われ続ける。

  • 2019年 「大脳皮質基底核変性症」と診断される。


経緯・制度・症状・介護の詳細はこちらから…発症から診断までに4年






診断名がついてからその後

【CHAPTER2】診断されてからその後


難病という診断だということですけど、これから何をしたらいいのでしょうか。
指定難病だと医療費を助成してもらえるのでまずはそれをしましょう。書類を作ります。
通院の頻度はこれからどれくらいでしょうか。
今のところは月1回程度で。その分のお薬を処方しますね。

経緯

  • 2019年 「指定難病」は医療費助成の対象となるため申請を行う。

  • 施設入所。進行がゆっくりなため安定した生活を送ることができる。

経緯・制度・症状・介護の詳細はこちらから…診断されてからその後






症状が進んできて今までと同じ状況を保つことが難しくなってきた

【CHAPTER3】症状が進行


経緯

  • 2022年 右手の緊張が強く固縮してほとんど動かすことができない状況になる。
    現在の入所先は医療に特化したところではないので施設側の限界が迫ってきていると連絡あり。



経緯・制度・症状・介護の詳細はこちらから…症状が進行





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