
大脳皮質基底核変性症|生活(部屋着)
このページでは、大脳皮質基底核変性症の母の生活(部屋着)について記録します。
病気が進行していく生活の中で
部屋着はとても重要です。
なぜなら適切な部屋着を選ぶことで、
限りなく生活の負担を軽減
病気だからできないというマイナスな気持ちを軽く
好きな服を着るという着心地で満足感を得る
体感温度を適切にすることで体調管理ができる
適切な服装が機能維持に繋がる
と生活を送る中で効果があります。
普段の私たちにとって、
服装は寒暖対策や体の保護
自分らしさの表現
毎日の日常動作
など特別な感じはしません。
でも母のように
何らかの障害を持つ病気の人にとっては、
命を守ること
生きている実感
気持ちの現れのサイン
尊厳を守ること
など部屋着は生活の重要な意味合いに繋がっているのです。
大脳皮質基底核変性症は
片側の手や足に筋肉のこわばりや動かしにくさが出てきて
だんだん筋肉が固まり動かすことが困難になってきます。
参考:
MSDマニュアル(外部リンク)
そのため進行初期から自分で服を着たり脱いだりの
日常動作に影響が出てきます。
症状が進んでくると、
自分で着替えたくてもできなくなり、
介護者が代わりに着脱を行うため、
部屋着として着せやすさや脱がせやすさがポイントになりますが
本人の気持ちを汲んだ方がより良いときもあります。
大脳皮質基底核変性症には
鬱的傾向を伴うことや
保続といって同じことに執着して抜け出せない
ときもあるので、うまく本人の気持ちに添うことが必要です。
大脳皮質基底核変性症のように、
片側に強く症状が出る場合の
部屋着を選ぶポイントを母の経過になぞって記録します。
1.自分でなんとか着脱できる時期
母の場合、診断されて2年半くらいは
何とか自分で脱ぎ着をしていました。
自分の部屋を出て、
施設内の友達と話をしたり、
食堂でご飯をみんなで食べていたり
自然と人と出合う機会があるときには
周りの人の様子や服装などを見て、
自分の服装に気を配っていました。
服や下着を新調したいとき、
母を車いすに乗せて散歩がてら
近くのお店に買い物にいきました。
母はオシャレ好きだったので、
自分の好みをきっちりと持ち、
服を自分で探しました。
いま思えば
そのときの母の様子はとても普通でした。
後に程なくして
自分で服を選んで買う
ということができなくなることを知らずに。
この先もずっと続くような
当たり前のことでした。
脱ぎ着しやすくするためには
伸縮性のある服が良い
と私は思うのですが、
ブラウスなど綿素材で
前ボタンのあるような
母にとってきちんとした服装が
好みだったため、
そのような服を選びがちだったのです。
ただ、前ボタンだとしても、
右手に症状が現れていて、
激痛で思うように動かせない症状に悩んでいたため、
本来体型的にMサイズであるにもかかわらず、
LサイズもしくはLLサイズを選んでいました。
ボタンをできるだけ外さないようにして
被るようにして着脱をすることで、
手の痛みと闘いながら
ひとりで着脱できたからです。
私が伸縮性のある服を買って
母に渡したときに、
「こういう服だとダラダラしているように見える」
「みんな(施設内で出合う)は、部屋着のような恰好をしていないからこんな服は誰も着ていない」
と言われたことがあります。
私が良かれと思っても、
母にとっては
病気や障害を言い訳にしたくなかったのかもしれません。
その頃は上はブラウスやシャツ、
下は綿のズボン。
綿ズボンは同じ形の物を好みました。
同じお店で同じ商品を購入しました。
本当は違う形の物を
着てみたかったのかもしれませんが
同じ物であれば、脱ぎ着するコツは同じ
という利点を母は優先したのかもしれません。
これは靴も同様です。
詳しくはこちら:
動かない手をカバーする5つの工夫(内部リンク)
温度調整のための羽織物(カーディガン等)
室内温度と調整がしやすいように、
羽織り物(例えばカーディガン)は必要です。
簡単に羽織れる袖なしカーディガンを愛用していました。
ベッド上で寝ているとき
部屋で過ごすときの
体感が違うためです。
袖なしであれば
右手が使えなくても、
袖に腕が通しやすいからです。
夏
夏場は右手を隠すのに半そではなく長袖を希望しました。
室内は温度調節が行き届いているとはいえ、
季節感を持つために、
私が左側の袖口を折り曲げて縫い留めたり、
裁断して縫い口を整えたりしました。
インナー
ブラジャーを完全にやめて
カップ付きのタンクトップ
もしくはTシャツ(締め付けが全くないもの)
を着用。
ショーツは自分で上げ下げしやすい
大きめサイズで綿素材。
靴下は足首を締め付けないもの。
その頃の私は、
母の主張を鬱陶しく感じることもあり、
同じ形探しに付き合うのに
辟易していたこともありました。
母をお店に連れていくまでが私のできることだと
感じていました。
いまとなって振り返ると、
母が自分の力を使って生きるために
おそらく必死に
やっていたことだと
想いを巡らせることができます。
この段階ですべきことは
母の意思を充分に尊重し、
好みを少しでも知っておくことだと思いました。
2.部屋で過ごさなければならなくなってきた時期
右手だけではなく
右足に症状が出始め
度重なる転倒で
自分の力だけでベッドから車いすに乗れなくなり
尿カテーテル装着などで
部屋で過ごすしかなくなった頃は
月一の通院の際の服装にだけ
気を配るようにとなりました。
月一の通院は
自分が信じている先生に会う日であり、
多くの人の中で過ごす特別な日として
母が捉えていたからだと思います。
その日に着る服は
誰が見てもベッド上で過ごしている服には見えず
そして母は自分の好きな色の服を
好みました。
ベッド上で過ごす服は、
介護してもらうスタッフさんに
着替えさせてもらいやすいように
ひとつ大きいサイズを好みました。
施設スタッフさんに着替えさせてもらうことは
母にとって心苦しいようで、
できる限り時間がかからないように、
手間にならないように
との母の気持ちからでした。
母は次第に服装の好みより
寒さ暑さだけが気になるようになりました。
徐々に痩せていき、
襟ぐりが大きいと肩が落ちたり
胸元が見えやすくなったりするので、
母に何も伝えず、
母に合ったサイズを用意するようにしました。
この頃は伸縮性のある服がメインになりました。
母に似合い、
襟ぐり具合が良さそうな服が見つかると、
色や柄違いで数枚買って
施設に持っていきました。
温度調整のための羽織物(カーディガン等)
自分でできなくなってきたので、
施設スタッフさんに着せられたら、
ずっとそのまま着たまま過ごしていました。
カーディガンを羽織ったままベッドに寝せられると
暑くなったり、
寝た姿勢で背中にカーディガンがあたって
不快になったりするので、
何も羽織らなくなりました。
インナー
カップ付きはやめて、
タンクトップやTシャツに。
肩から見えないように
サイズは適正サイズを選択。
冬場は8分袖のインナーに。
ショーツはカテーテルになり使用せず。
靴下は通気性が良いもの、
寝ているときに
自分の片足を使って
脱ぐことができるもの。
3.現在(寝たきり)
そして現在
服装への意識はほとんどありません。
たまに、左手で左足のズボンの裾を捲り上げます。
暑くても寒くても同じで、裾にリブがついて足首にフィットしているのは何か不快に感じているようです。
自分で手を動かすことはリハビリに繋がるのであまり配慮しません。
現在は用意された服を施設スタッフさんに
着せてもらうだけになりました。
とはいえ、母の昔を想い、
現在も母らしく過ごしてもらうために、
母の代わりに母の服装に気を配っています。
温度調整のための羽織物(カーディガン等)
自分で言えないので、
周りが察して、毛布や布団、エアコンの室温で調節しています。
インナー
半そでタイプ(冬は8分袖)。
靴下は足首までのもの(たまに自分で脱いでいるのでゆるめに)。
自分で脱げることがリハビリに繋がっている
と思っているので配慮していません。
4.まとめ
大脳皮質基底核変性症の母の場合、
服装やインナーなど進行によって変えてきました。
母がオシャレが好きだったので、
母が希望することができる間は
母の好みに合うようにしました。
大きめサイズを着るなど
母なりの工夫があってのことと
母の希望に添いました。
また簡単にできる手直しをし、
母の症状に合わせて既製品をリメイクしたこともありました。
詳しくはこちら:
リメイク服(内部リンク)
母が好む服装や色など知っておくと、
その後に自分がハンドリングしないといけなくなったときに、
母らしい服装を探すことが簡単にできます。
母の場合、右側が強く固まっており、
冬など外出に際して脱ぎ着が必要な
コートなどの場合、少しコツが必要です。
風を通さない腰までのコート、
母の場合はダウンコート
を着せます。
腰より長いと
車いすの上で余ってしまうためです。
コートは伸縮性がないことが多く、
買い替えることは
よほどのことがない限りしないので
大きめサイズ。
強く固まった右腕に
まず先にコートの袖を通して、
その後左腕を通します。
脱がせるときは着た状態から
コートの肩を抜きます。
そして左側、右側の順に脱がせると良いです。
ポンチョの形のコートは、
頭から着せるだけで簡単です。
また毛布みたいなフリース生地を
ボタンで留めるだけの物も重宝します。
腰回りから下、足首までを覆う長さのある
ショール(風を通さないダウン)を巻きます。
頭には帽子。
部屋の中にいることが長い母は
太陽の光がまぶしく目を開けにくいので
目が影になるつば付帽子。
これで冬の通院も、散歩も無敵です。
たとえ面倒だと思っても
右手を袖に通さないで着せることは、
尊厳を守るという観点から
できるだけ他の人と同じように
手を通すことを意識しています。
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