大脳皮質基底核変性症|闘病記|動かない手をカバーする5つの工夫




大脳皮質基底核変性症|闘病記|動かない手をカバーする5つの工夫

このページでは大脳皮質基底核変性症を患う母の闘病記、母の動かない手をカバーする5つの工夫について焦点をあてて記録しています。

母の右手は強い緊張があり手をぎゅっと握ったまま硬く、そして肘で屈曲したままで動かすことができません。
以前は右手、右腕のどこかにふいに何かがあたるだけで飛び上がるほどの痛みを訴えていましたが、最近では麻痺しているためか何かにあたって痛みを訴えることはなくなりました。
何もしなくても常に痛みがあり服用で抑えています。
痛みの常態化は通院先の医師によると「こわばりや緊張を脳が痛みと感じてしまっている」からとのことです。
肘で曲げた状態で胸の前にある右手右腕は、全く動かすことができないので服の袖を通すのにも一苦労。
いつも施設の看護師さんや介護士さんにお世話になっています。
大脳皮質基底核変性症のパーキンソン症状である筋肉の硬さと大脳皮質症状である手が思うように使えないが同時にみられそれが長く続いた状態ゆえです。

難病情報センター:大脳皮質基底核変性症とは<外部リンク>

母の場合、利き腕側の右手に発症しているため日常生活を左手でカバーすることから始まり現在では左手だけで様々なことを行っています。
利き手じゃないことによる不自由さもさることながら、片手だけで行わなければならないことで生じる不自由さをカバーするために、工夫しています。
日常生活を両手を当然のように使っている私にはまったく気づかないようなことです。
実際私が自分でやってみるとなるほどできないのです。
利き手ではないことの不自由さに加えて片手だけで何かしようとしても何もできないのです。
そしてその不自由さ(もどかしさ)をカバーしようともう一方の手が勝手に出ようとするのでなんとなくできそうになりますが、本当に全く動かない手になってしまった母にはそういう機能は全くないのでできないのです。
私にはまったく気付かない不自由さを教えてくれます。






1.ペットボトル

母は薬のせいなのか喉がよく渇くのでペットボトルの水が欠かせません。
このペットボトルは硬い容器のものを用意します。
そして水がこぼれない程度に蓋をゆるく閉めておきます。
そうすることで片手だけで器用にくるくると蓋をゆるめて蓋を手の平の中におさめペットボトルの真ん中に手を移動させて持ち水を飲みます。
右足も動かなく力が入らないので両足でペットボトルを挟んで行うことは今では難しくなりました。
そのため「できる限りのゆるさ加減」で蓋をあらかじめ緩めておくことが必要になります。

他に「薬飲容器」や「ストロー付きマグ」や「ペットボトルの口にストローを装着しておくこと」などありますが、衛生面や飲み終えたあとにそれらに移し替える、装着する、洗う、などを母自身ができないこと、介護の手が多くかかることなどを加味して、現在は「できる限りのゆるさ加減」の蓋閉めペットボトルで水分補給ができています。施設の看護師さんや介護士さんがやってくれています。



2.ビニール袋

私から母に差し入れするものがいくつかあります。
例えば果物。
母が果物が好きで中でもりんごが好きなのでよく持っていきます。
保存容器に入れて持っていけばいいのですが、片手で開け閉めをやりにくいので、そのリンゴを入れるのはビニール袋。
このビニール袋は母が片手で扱うのに重宝しています。



  • 匂いを封じることができるため

  • 後始末が簡単なため

  • 開けやすいため



中の物が残ればそのまま軽くビニール袋の口を閉じて冷蔵庫へ片付けます。
食べ終わればそのままビニール袋を捨てて終わりです。
他に差し入れするものとしてみかんも皮を剥いた状態でビニール袋へ。
母の好きなお寿司を差し入れするときは販売されているプラスチック容器のテープを剥がし、上の透明な蓋をはずしてそのままビニール袋に入れます。
ビニール袋がラップの代わりになります。
様々な食品をビニール袋へ入れておけば、母が自分の好きなタイミングで食べることができます。



3.トイレットペーパー


右側が不自由な母ができるトイレの配置があります。
便器に座ったときに手すりが左側にあるトイレです。
トイレットペーパーを自分で使うとき、左手だけで巻き取り切ります。
これがなかなか難しい。
そして手すりとの距離の関係上トイレットペーパーの設置位置が少し後ろ目。
腕を普通に伸ばした位置より少し後方にあるのでやりにくいのです。
体をずらしたり傾けたりすれば転倒してしまう母の場合です。
そのために私がトイレ介助をするときにはトイレットペーパーを必要な分だけ巻き取り母に渡すことにしています。
トイレットペーパーをひとりで巻き取るのにかかる時間が少なくなるためトイレの負担が少しだけ減ります。
恥ずかしながら全く気付けない私は、右側が不自由な母が思いのほか苦労する場面を教えてもらい人生の勉強をしています。

4.くつ


母が履いている靴はずっと同じメーカーの物。
買い替えのときは迷わず同じメーカーの靴を求めます。
靴は生活する上で一番大事といっても過言ではない代物。
転倒リスクの高い母には命綱のようなものです。
母がまだ自力で何とか歩くことができていたときに、施設にいる人の靴を「ピンク色がかわいい」と言ったので、違うメーカーではあったけれどピンク色の靴を用意したことがありました。
でも結果は履き慣れない靴なので使うことがありませんでした。
使うことができなかったのです。

慣れた靴を履くことは歩くより以前の問題で、着脱がストレスなく無意識に近い状況でできるということを示します。
そうではない場合は着脱するときから履き心地や軽さ、マジックテープの位置や長さに違いを感じてストレスになり履くことが困難になります。
歩こうと思う気持ちを阻害し、転倒リスクが高まるので履かない、歩くチャンスが減るということになりました。
小さなことでも新しいことに適応し難さというのがあるので同じメーカーの色違いをずっと利用しています。
早い段階で母に合った靴を見つけれたことが幸いでした。

5.車いす


不自由な右側の腕を置く位置がとても重要です。
固まってしまっている右腕に柔軟性がないため、体と一体化しています。
置く場所がずれれば不快に思い座り心地が良くなく「転びそう」となります。
また体勢を立て直そうとして動くので車いすから転がり落ちる可能性が出てきます。
母にとってはこれも生命線のひとつです。
母の肘の部分にはタオルを置いています。
このタオルが車いすの肘掛けと母の肘の隙間を埋めてくれ安定感を作っているようです。
いつも同じ場所がそれでわかるので目印にもなります。
最近では右足の置き場も同様でとても重要です。
感覚がなくなりつつあるようですが置く場所が違うと「転びそう」と言います。
このほんの少しの不快さが母のストレスを増やし気分的に良くない状況になりかねません。

まとめ

「大脳皮質基底核変性症」と診断された母の不自由な右側、特に右手でできないことをカバーする5つの工夫を記録しました。
ほんの少しの工夫が母のできないことを助けたり、その助けによってストレスなくできることで母を助けています。
施設の看護師さんや介護士さんが対応してくれたことも多くありがたい限りです。

ビニール袋を使うことや同じメーカーの靴を履き続けること、母の好みのペットボトルの水を用意することなど。
ほんの少しの工夫があれば、できることは自分でやろうとする母が諦めることなくやろうとすること。それが現状をできるだけ保つために役立つことを願っています。

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