
大脳皮質基底核変性症|治療実録
このページでは、大脳皮質基底核変性症の母の治療実録について記録します。
大脳皮質基底核変性症は現時点では治すことが難しい病気です。
参考:難病情報センター(外部リンク)
母は大脳皮質基底核変性症と診断されてから5年半。
その間、月に一度の通院時に主治医と会話する中でも
「大脳皮質基底核変性症は治る」と聞いたことはありません。
- 実際のところ、難病の場合、治療方法がないので、医師として患者さんにできることが少ないのですが、難病ゆえに予後とかこの先どういうふうになっていくのかを正確に患者さんやご家族さんに伝えて支援していきたい、それが仕事のひとつだと思っています。
(詳しくはこちら:大脳皮質基底核変性症|原因について(内部リンク)より)
「正確な数字は不明ですが、日本では人口10万人当たり3.5名程度のまれな病気と思われます。」
引用:難病情報センター(外部リンク)
というくらい稀な病気であり、
母の病名を人に伝えても
「知っている」という人はほとんどおらず、
たいていの場合
「大脳皮質・・・?」
と病名を繰り返すことができないくらい
聞き慣れない病気です。
知名度が低いといえばそれまでなのですが、
発症人数が少なければ
新薬の研究の対象にし
結果を導き出すためのデータ数が
足りなさすぎるということも十分に考えられます。
「パーキンソン病の場合、日本では10万人に100人〜180人」
引用:難病情報センター(外部リンク)
であり、患者数の多いパーキンソン病の場合、
研究や治験、新薬の開発のニュースを
新聞やインターネット情報で目にします。
主治医から聞いたところによると
タウ(Tauopathy:タウオパチー)というタンパク質の研究はあるようで
(詳しくはこちら:大脳皮質基底核変性症|進行が加速(内部リンク)より)
4リピートタウオパチーが関係している大脳皮質基底核変性症など、
新規治療の成功が望まれるところです。
大脳皮質基底核変性症の進行は
比較的ゆるやかに進むと主治医から聞いている通り、
母もそうなのですが、
進行が止まることなく
長い時間の経過とともに確実に悪化し、
診断された5年半前とは
比べ物にならないくらいの様態になっています。
新薬に期待して待つ時間が十分にあれば、
もしかしたら何十年後には
難病ではなくなるかもしれないなんてことも考えられます。
でも、例え今すぐに治療薬ができたと仮定しても、
母の場合、固縮による体のゆがみや嚥下機能や年齢などすべて含めて、
もとの体を取り戻せるかといえばそうではありません。
この大脳皮質基底核変性症に罹らなかったと仮定し、
失われた時間を取り戻すことはやっぱり不可能なのです。
1.個々の生活に合わせた調整の最適解探し
新薬など新しい治療法を待つことができないならば・・・
母の病態をそばで10年近く見てきた私としては
「母の生活状況に合わせた細やかな調整の最適解探し」
これが介護をする者が担う部分なのかもしれないと
母の病状が進んだ今だからこそ強く感じています。
特にこの先起きることの予防がとても大事です。
どんなふうにどれくらいで
大脳皮質基底核変性症の症状が出てくるのか、
ゆっくり進むがゆえ、普段どおり生活していると
変化に気づきにくいため、
介護する側が意識しておけば
進行を遅らせる一つの手立てになりうるのかもしれません。
進行を遅らせることができれば、
持っている機能を持ち続け、
毎日変わらない日常生活の維持が
長期間できるかもしれません。
つまり寝たきりになる時間を減らす策をすることで、
もしかしたら
本人が人生の時間や尊厳を守ることに繋がるのではないか
と思うのです。
以前主治医から聞いた話によると、
罹患した人のその後の様子までは日本は追跡していないとのこと
(海外では追っかけている国もあるとのこと)。
- 日本では残念ながら、大脳皮質基底核変性症に罹患した人の把握はしているが、 その後のどうなったのかについては把握していないと思います。 海外の一部では、罹患後の追っかけをしている国もありますが。
(詳しくはこちら:大脳皮質基底核変性症|進行が加速(内部リンク)より)
母に合ったあれこれ調整の最適解は、
その時点での母に合うことだと思って
臨んでいることですが、
もしかしたら、同じ病気に罹患している人の
どこかのタイミングでの
最適解にもなりうる可能性があります。
現時点では決して治ることはないので、
進行する症状の予防および緩和を目標に、
固縮を緩和するためのマッサージや
失語の発症を遅らせる口周りの機能の維持を
目的にしたリハビリサービスを受けながら、
日常生活の維持ができるように
細やかな調整を
母の代わりに
行うことが介護をする私の役目です。
2.治療
大脳皮質基底核変性症は
現時点では残念ながら
確立された根本的な治療法はありません。
代わりに、症状を和らげるため
薬の服用やリハビリを行っていきます。
大脳皮質基底核変性症は多くの症状が出るので、
それぞれの症状に合わせて
薬や注射などで一時的に緩和します。
効果があったり効かなかったり・・・
母もいくつかの薬を試して
程よいところを時間をかけて見つけてきました。
薬をかえると副作用がひどくなることもありました。
副作用が辛くて
服用をストップしてしまった薬を
そのまま飲み続けれいれば、
今の母とは違う母がいたかもしれません。
リハビリにおいては
理学療法士、作業療法士、言語聴覚士サービスを受けてきました。
最初の頃は、運動機能の悪化が目立っていたので、
理学療法を心待ちにしていました。
「できるだけ自分でしたい」
と強く願い、
周りから「そんなにがんばらなくても良いよ」
と言われるくらい、精力的に自分で行動していた頃がありました。
特に大脳皮質基底核変性症の典型的な症状である
右手の違和感や痛みで苦しんでいた頃、
人にお願いするのではなく
左手で字の練習をし、
すぐにかわいらしい字を書けるようになりました。
新聞紙や広告を使って折り紙をし
机上で使うゴミを入れる箱をたくさん作っていました。
左手だけでは折り目をつけることが難しく、
顎や口を使っていました。
鬱的傾向があったものの、
取り組んでいるときは
決して泣き言を言わず、
ひとつずつ難題をクリアしていくような
嬉々とした姿に見えました。
「人には見せられない姿」と
たまに言っていたので
心中はどうだったのか
本当のところは辛かったのかもしれません。
薄着の頃は、右腕の隠れる服を希望しました。
暑いので温度に合わせて半袖を
本当は着たかったと思いますが。
寒くなり上着のファスナーを
閉めなければならなくなった頃
両手を使わないと難しいので
口を使い左手で上手にできるようになりました。
療法士さんとともにリハビリに励み前向きでいました。
それが時間経過とともに、
自立歩行で転倒を繰り返し
車椅子に。
そして時間の経過とともに
ベッド上で過ごすことが増え、
母の必要は言語療法にスライドしていきました。
ここ1年の母の様子を振り返ると、
口周り機能の悪化が特に目立ちました。
◆胃ろう造設。生きるための栄養摂取と経口摂取(食べる行為)を切り分け、母の持つ機能維持を図る。
◆強い固縮からか強い食いしばりがあり、後屈姿勢気味に。
◆コミュニケーションを取るカタチを変え、構音障害や失語症状加速の対応を再考。
大脳皮質基底核変性症では、
時間の経過とともに
口腔の失行
(口の筋肉を正確に制御することが困難になる状態)
が起きます。
これは大脳皮質基底核変性症になったからには
悪化を食い止める術はなく
逃れられない運命のようなものです。
3.まとめ
根本的な治療方法がない大脳皮質基底核変性症は、
症状に対して
薬で緩和したりリハビリを行い
維持や予防を行います。
特にここ1年の母の症状は
口周り機能の悪化が目立ち、
言語聴覚士さんと
母のことで相談することが多くありました。
母の生活状況に合わせた細やかな調整の最適解探しです。
私が諦めてしまったら、
母は命尽きるまで
ベッド上で天井をみたままの時間を
過ごさなければなりません。
それは長いのかそうでないのかは
私にはわかりません。
難病の会に参加した時に、
「介護をする人が諦めて手を離したら、そこですべてが終わってしまう。病気に罹った人しかわからないと言われるかもしれないけれど生きたいと最期のその時まで思っているもの。」
という先達の話がありました。
私に先読みする力があったなら、
母が寝たきりになるまでの時間を減らす工夫を
もう少し考えることができたのかな。
「後悔しないように」とジタバタできるときは
まだできることがあるときだということかもしれません、きっと。
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