大脳皮質基底核変性症|闘病記|転倒




大脳皮質基底核変性症|闘病記|転倒

このページでは大脳皮質基底核変性症を患う母の闘病記、転倒について焦点をあてて記録しています。

現在は毎日のように転倒を繰り返しています。
母を介護していく中で「転倒」については主治医や施設の看護師に何度も相談していることです。
周囲は「転倒しないように」と当然何らかの配慮をしたり対策をしているのですが、現在の母の様子をみれば、「転倒しないように」するということは母の能力維持を脅かしてしまうことになりかねないところがあります。
「転倒しないように対策を練る」ことは必ずしも「大脳皮質基底核変性症」と診断された母の状況を改善もしくは維持できるかというとそうではないのかもしれないと思うようになりました。
そこがどうしたらいいのかと悩みどころなのです。
「転倒」に関する母の訴えも変わってきました。

難病情報センター:大脳皮質基底核変性症とは<外部リンク>

「大脳皮質基底核変性症」を患っている母は2014年に症状が出始め、2019年に「大脳皮質基底核変性症」と診断名が付きました。
母の「大脳皮質基底核変性症」経緯の詳細はこちら<内部リンク>






1.「転倒しないように」とは

母のトイレ問題

トイレに行きたいから行ってくる
のどが渇くから水を飲みたい
ゴクゴク
またトイレに行きたくなったから連れていって
え?さっき行ったばかりだよ?

「大脳皮質基底核変性症」を患う母がトイレに行って帰ってくるまでには
ベッド → 車いす → トイレ → 車いす → 便座 → 車いす → ベッドに移動
「転倒」の可能性がある場面がたくさんあります。
母は右側に症状が出て右手は固まっていて動かすことができず右足も痛みがひどくなっているようで筋固縮があり感覚が鈍くなっています。
自立歩行は難しいのですが車いすを使えば何とか左側の手足の力を使い立ち上がることでトイレに行くことができている状態です。

頑張り屋の母の性格から自分で何とかしようと諦めることなく日中は施設の共同トイレまで、夜間はベッド横に設置してもらう簡易トイレに行きます。
母の諦めない性格と毎日来てくださる訪問リハビリの先生方のおかげで筋力維持しているようです。基本的生活を維持するリハビリになっています。

ところがここ数か月のうちに転倒の回数が増えてきました。
転倒すると自分で体勢を整えたり起き上がることはできません。
ナースコールに届かない場所での転倒は「助けて」と叫ぶようですが、施設側がその声に気付くまでは転倒したままの姿勢で床に転がっているとのことです。
認知症状がまったくなくしっかりしている母は当然悔しくてみじめな気持ちになり泣いているとのことです。



誰も助けに来てくれない、痛くて気が遠くなる
こんな状態でどうして生きていなくちゃいけないのかな
どうしてこんな病気になったんだろう?何がいけなかったんだろう?
るしこちゃんに迷惑をかけてごめんね

母は「誰にも見つけれもらえないで転んだ痛みに耐えながら長くいる状況は本当に本当に悲しい。どうしてこんな病気になっちゃったのかな。自分の何がいけなかったのかな」と自分を責めそして私に訴えます。



おむつにしてみたらどうだろうか
カテーテルという方法もあるので先生と相談してきて

この転倒の防止策として施設側から「おむつ」の提案や頻尿に対するカテーテルの使用を提案されました。


ベッドから移動するときは必ず人を呼んでください
人がそばにいないときはベッドから移動しないでください

また主治医に相談すると「移動するときは必ず誰かを呼ぶというルールを徹底すること、つまり人がいないときは移動しないこと」と言われました。


でもコールばかりしても施設の人に申し訳ない
自分でできることは自分でやらなくちゃ


頻尿のためそのたびにナースコールするのも気が引けると母は言います。
1時間に何度もコールされる施設側もできるだけ付き合ってくれていますが施設に介護を必要とするのは母だけではありませんので対応に苦慮しています。
「転倒しないようにする」対策はベッド脇の手すり設置や物を置かないように広くしていることなどすでに行っていますが、新たな提案は母自体の基本的生活の質や可能性を諦めることなのかもしれません、気持ち的にも身体能力的にも。
おむつにすれば転倒の回数は減るかもしれません。転倒で頭を殴打する危険性も減るかもしれません。でもトイレに行きたい気持ちや自分でやろうとする気持ち、自分で体を動かすことができる筋力も手放すことにならないかなと私の中で葛藤が起きています。

2.「転倒」した際の母の訴え内容の変移

「転倒するタイミング」と「転倒後の母の訴え」がここ最近変わってきました。「大脳皮質基底核変性症」の症状が進行しているのではないかと思います。

  • 【2022年始め頃】

  • 転びそう
    転びそうになった

    母が「転びそうになった」と言うことが増える。

    実際に転倒することは少なく移乗する際や、移乗時に両足で立つときに「転びそう」と言う。
    手すりを持って「よいしょ」っとすくっと立つので安定しているように見た目は見えるが、本人は「転びそう」と連発。体を支えても「転びそう」と言う。

    私ができることは施設側への説明です。施設側には「ちゃんとしっかりしているように見えるが「転びそう」という強い訴えは「大脳皮質基底核変性症」の症状から来ています」と伝えました。


  • 【2022年春頃】

  • 転んでいるところを発見されることが多くなる。



    今までと同じようにしたけれどもそのまま転んでしまった
    誰も助けに来てくれなくて、何もできない自分が情けない

    移乗する際にそのままの勢いで倒れることが多く、顔を殴打し顔が腫れて内出血してしまう、こぶができることが度々起きる。
    病院へ行きレントゲンなど頭部や打撲箇所を確認するも異常なしという結果。転倒による硬膜下血腫もなかった。
    ただし見た目は顔が腫れあがって顔の半分が真っ青になり直視するのが気が引けるような状況。
    母は「今までと同じように(移乗)したけれどもそのまま転んでしまった、気づいてもらえるまでの床の冷たさやどうしようもできない自分が情けない」と泣く。


    人に迷惑をかけるから
    自分で何度かやってできなかったら人を呼ぶことにしている
    自分でできることは自分でする

    「移乗する際はコールで人を呼んでから」と何度も注意を伝えるものの、頻尿のため「(施設の)人に迷惑をかけることは申し訳ない」と言い、自分でトライしている、できることは自分ですると言う。
    母の今の状況では、「同じ繰り返し」が安定であって、何か少しの変化が苦手なので生活スタイルを変えることはとても難しい。


    半側空間無視と姿勢反射障害が出ています

    主治医にこの状況を説明すると「それは半側空間無視と姿勢反射障害が出ています、ちゃんと目は見えているけど見落としてしまう、認識することが難しくなってしまうんです。そこに加えて体のバランスを保てないため転んでしまうのです。」と言われる。
    そして施設側から「頻繁なコール」加算の請求が。

    私ができることは施設側への説明です。施設側に「コールを頻繁にすると迷惑をかけると思ってしまう、発見されないときは絶望の淵にいる」という母が私にだけに話すことと主治医からの説明を併せて伝えました。


  • 【2022年夏】


  • 車いすから転げ落ちた
    足がちゃんと乗っていない

    転倒は車いすに移乗した後、車いすに乗っている時にも起きることが多くなる。

    転倒防止のため施設側の見守りも増え、また母の移乗しようとする際のコールもあってその際の転倒は少なくなった。
    ところが車いすに座っているところから転がり落ちる転倒へ変わった。
    車いすに乗っている時に「転びそう」と訴えることが増える。
    症状が進行し座位姿勢保持が難しくなってきたのかもしれない。
    右足を車いすの足置き場(フットサポート)に置いているのに「足がちゃんと置けていない」と言う。決まった位置ではないと認識できず、定位置だと足を乗せたと認識するようだ。
    手も同じ。車いすに乗ったときの固縮した手の置き場が決まっていてそこに右手があるときは転びそうという訴えが今のところ少ないように感じる。



    手(右手)はここに置いたら大丈夫?
    足(右足)は足置き場にちゃんと乗っているよ、ここなら大丈夫?(定位置を探す)

    私ができることは母から様子を聞くことです。そして症状の細かな説明をわかりやすく施設側とケアマネさんに伝えることです。
    特に「母にとって右手と右足がいつもの定位置ならば落ち着くのかもしれない」など微妙な変化を伝えます。
    母は普通に座っているのに「転ぶ、転ぶ」と訴えるので私も「ちゃんと座っているのに」とどうしたら訴えがなくなるんだろうかと困惑します。
    「病気だから仕方がない」ではなく「大脳皮質基底核変性症」は症例が少なく個人差の大きい難病なのでひとつずつ周囲へ母から聞いたことを説明し、また通院の際に対応方法に何かアイディアがないか主治医からアドバイスをもらうように心がけています。



3.対応方法


転倒を防ぐためにひとりで「ベッドから移動しないでください
人がそばにいないときはベッドから移動しないでください

「転倒を防ぐには、ひとりで「ベッドから移動しない」ことです。転ぶ危険があるときには見守りが必要です。」 と言われましたが、とても難しいことです。
母はトイレに行きたい、薬の影響もあってのどが渇くので水分を欲する、当然トイレに行く回数も増える、我慢できない、でもおむつではしたくない、 これは本来の基本的な生活です。
これを
「転倒しないように移動するときは毎回コールをする」
「転倒しないように常に見守る」
「見守れないときはベッドから降りない」
という対応がストレートに考えられますが正直とても難しい。
何をとっても何かが立たず。
母が尿意を感じて自分でトイレに行きたいと思う気持ちや生理現象のために行動をすることで筋力保持が自然と行われていることを止めてしまったら・・・何もできなくなってしまう。
また部屋から外に出るとばったり施設入居している友達に出会う。
「どう?」と互いを思いやるだけの会話だけれどお互いに顔を見てお互いを思いやる、そんな社会的チャンスに出合える。

「大脳皮質基底核変性症」と診断されたからには治療方法がなくいずれは寝たきりになってしまうだろう。
難病情報センター<外部リンク>によると母の今の症状は<重症度分類>「中等度から重度の障害」というところであり次の段階は「重度の障害:寝たきり、失禁状態、常に介護と見守りを必要」。
ほんの少しの変化も母が何とかひとりでするには妨げとなるので床をソフトクッションにする、頭部を守る帽子をかぶる、離床センサーの設置などはできない。
母も「何かを置かれたらより転ぶ」と言うので打つ手がなく。
「彼方立てれば此方が立たぬ」の状況だ。

訪問リハビリを定期的に行っていること、できるだけ生活の質を落とさないで良好な状態を長く保ちたいものです。



まとめ

「大脳皮質基底核変性症」と診断された母の「転倒」について変化があったので記録しました。
難病情報センター「重症度分類」<外部リンク>において母の現段階は「中等度から重度の障害:歩行や身体的要求には介助が必要である」と考えられます。
治療法がない難病「大脳皮質基底核変性症」に罹った以上、次の分類に移行するときが必ずやってきます。辛く悲しく苦しくなります。
将来遅かれ早かれこうなるということを主治医からも宣告されています。

となれば母と私が目標にすることは、できるだけ今の状態を保つこと。
例えばトイレに自分で行こうとする、車いすに乗って部屋を出て他の人と会話をするなど母の自発的な身体的精神的リハビリを止めないこと。

「大脳皮質基底核変性症」という難病になったからといって母が特別な扱いを受けなければならないというのではありません。
今も施設の多くの人の助けによって暮らしが整っているのでありがたい限りです。
母がわざと迷惑をかけようと思って強く同じことを訴えたりするのか、そうではなく、「大脳皮質基底核変性症」の症状から出てしまう行動なのか。
少しずつ言葉が出にくくなり説明がうまくできないこともあり誤解を周囲に与えてしまう状況を私が母の気持ちを聞き取り代弁して伝えることが、私が母にできることだと思い精力的に周囲に伝えています。

ふと「パーソン・センタード・ケア」という言葉を思い出しました。
父が認知症を患っている頃に知った言葉です。
「パーソン・センタード・ケア」とは|健康長寿ネット<外部リンク>
「認知症」の人に対してのケアの考え方のようですね。認知症に限らず介護される人ができるだけ生活の質を保ったまま生活できることを考えるにあたりヒントが多いように感じます。
認知症研究の第一人者・長谷川和夫さんが認知症の当事者として生前伝えたかったこと<外部リンク>

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