10年もの介護をやってきてわかった。
「同居しない介護」を振り返って良かったと思う5つのこと。




介護のスタイルに悩んだ結果、たどり着いた「同居しない介護」

父は認知症(他界)、母は難病(大脳基底核変性症)。現在も母を介護ingです。 10年前に実家に通いながら認知症の父を介護するというスタイルから始まった「同居しない介護」は今では私の生活の一部として定着し常態化しています。 何年も両親の介護をやってきた結果、「同居しない介護」を振り返り「これで良かった」「これが良かった」と感じていることが5つあります。





1.距離感のこと

「同居しない介護」はその名のとおり、物理的距離感があるので心理的距離感も満たされます。
なぜ距離感が必要かといえば、介護する方も介護される方もどっぷり相手に依存します。
「困っているから何とか私がしなくちゃ」「できるだけ困らないようにしてあげるためにはどうしたらいいんだろう」などと 一緒にいれば助けてあげれる、近くにいればすぐにできる、と考えてしまいそのように行動しようとします。
人は困った人を見ると助けようとする習性があるようで、苦しんでいる人を見てみすみす知らん顔をするというのは難しいところがあります。

それが知らないうちに自分の心の拠りどころになることもあります。
「親を介護する」ことで役立つ自分がいるからです。

「介護して助けてほしい」という親に対して、その期待に応える娘。
まわりの人からの「親を介護して立派だね」「優しい娘さんを持って良かったねー」などの声援。
「親の介護をして誠心誠意尽くす親孝行な娘」という姿に心酔してどんどん嵌っていくのです。

実家に泊まり「同居する介護」を選択しようとしていた私はいつしか自分を見失いコントロールできなくなり息をつくことも忘れてしまうほどになりました。

介護される親が私の思う介護でいつも満足するわけではありません。
介護される側になっても親は親。
「もっともっと」と言われたり、「どうしてそのやり方しかできないの」という叱責。
従来からの親と娘の関係が介護の現場にはいつも存在していました。

悲惨なことが起きる一歩手前だったとその頃を振り返ると思いますが、物理的距離を意識したことで少しずつ落ち着くことができました。

私はその場から離れることで介護してほしいという父や母から離れて自分の城へ帰ることで 自分を取り戻せていたように思います。
物理的距離があれば、見えなくて済むので心を支配する「介護」という事柄から離れることもできます。
心の拠りどころとして君臨していた娘ならば介護をするべきだという常識のような気持ちが、別のものに気がまぎれることとなり自分らしさを取り戻す時間ができました。
問題が起きてから「同居する介護」から「同居しない介護」へ変更することは、その反対よりおそらく体力や時間がかかること、同居しないと決めた介護スタイルは決断や覚悟がいるものですが、私が私でいられる大きなメリットがありました。

2.協力者のこと

「同居しない介護」は私がいないときにどうしているかというと、近隣の方、民生委員の方、ケアマネージャーさんなどが協力してくれていることがありました。
自分ひとりでやってしまうと体力や時間、気持ちに限界がきます。
限界がくれば途方にくれることもたくさんあります。
でもそのうちの少しでもいろんな人に協力を求めることで、×(乗算)人数分の時間を私だけの時間から譲ることができます。
特に私がケアマネージャーさんからいただいた言葉には本当に救われました。

「あなたのお母さんにしている時間の一部を私たちに任せてください。私たちが介護サービスなどを使ってまた他の人に時間を任せていくとあなたが持たなければいけない時間はどんどん減っていきますよ。いまはしんどいから考えれないかもしれないけれど、少し余裕ができたら またお母さんと母娘のいい関係を築いてください。」

介護は娘がするべきという母の教えの呪縛から逃れることができ、良好な親子関係を再構築することができました。

3.環境のこと

「同居しない介護」とは地域も然り、慣れ親しんだ家を離れることは介護される人にとっては 不安の要因になるかもしれません。
ほんの少しやり方が変わる、椅子の置き場が変わる、トイレの場所が変わる、ということは介護される人にとっては受け入れがたいチャレンジになります。

慣れ親しんだ地域にいれば、昔なじみの人がひょっこり訪ねてきてくれて話し相手になってくれることもあります。
昔話に花が咲いたり、お互いの体のしんどさの話で盛り上がったり 時には辛さを共有して泣いたり。そんな繋がりの可能性も「環境を変えない」ことで拾えます。
これは大きなメリットです。

「同居しない介護」は介護する側からは「通う」ことを念頭に入れ時間のやりくりや体力などの覚悟が必要になるのですが、 それでも介護される側のメリットを考えるとその方が良かったと思います。

4.お金のこと

「同居しない介護」は何もしなくても「単独世帯」になります。
サービスを受けるための基準になる「世帯の収入」もしくは「本人の収入」が低ければ、介護費用や国民健康保険料、後期高齢者医療制度保険料を抑えることができます。
低く抑えれるということは長期化する介護期間に対してお金の面で計画しやすくなります。

また相続についても生前に同居していたことが必ずしも優遇されるかというとそうでもない場合もありそうです。
同居を始めても終始うまくいくかとそうではない可能性もあり、寄り添ったけれどうまくいかず相続の配分にいかされないという不透明さがあります。
同居しない単独世帯をシンプルに親の持ち物(遺産)として考え、親に対してその持ち物を介護に使っていく、また前もって相続対策(遺言書作成)がやりやすくなることもあります。
先に相続について十分な検討に基づき、相応じた介護をするということもドライな関係かもしれませんが優しい心まで失ってしまうような疲弊する介護ではなくシンプルに親を介護することができるひとつに手だてなのかもしれません。

ちなみに「同居」をしても生計を別にするという「世帯分離」という方法がありますが、手続きが必要なため煩雑なことも考慮する必要があります。
介護をされていると弱気になってくるので「同居してほしい」と何度も言われたことがあります。
また 自分が背負う「通い」に疲れてきて、もし隣の部屋にいたらこんな通いの時間や手間がかからず楽かなと思ったことも多々ありました。
私の場合、両親が住んでいた地域の介護サービスの手厚さが良く同居しない介護を選択したひとつの理由にもなりました。

5.仕事のこと

私は仕事を続けています。
仕事と介護、家庭(子育てを含む)を首尾よく行うことは骨が折れることですが、 仕事の合間や帰りに時間をやりくりして施設入所になるまでの約8年間は実家通い介護をしました。

父の介護が始まるまでは、週に5日勤務していました。
介護がぼちぼち始まり会社をどうしても休んで通い介護をしなければならなくなったため、勤務を週に4日という契約に変更しました。
この頃の介護休業制度は93日をまとめて取得するというものでしたので実態と合わず利用しないでいました。
「同居しない介護」は、「介護をしに実家に行かなければならない」という目的が明確なので、休みを取る場合は会社の人たちに説明しやすかったです。
会社が賛成ムードだったかというと、当然そうではありませんでした。
社内で「介護」をしている人は一人もいない環境だったため、「名もなき介護」への理解は乏しく、「介護の大変さ」を共感してくれる人、辛さを傾聴してくれる人は少なく腫れ物に触るかのようにされていたこともありました。

そして父も母も介護が必要になってきた重なり介護の時期に入るタイミングで、介護と仕事を両立させる働き方について深く考えるようになりました。
それはこの先もっと介護に時間を取られることになったときを意識し「時間だけを提供する仕事」から「能力や技術を提供する仕事」へチェンジして自由な働き方を目指したいと思い始めました。

そして今は週4日のうち半分を在宅勤務することができるようになりました。
コロナ禍で在宅勤務という勤務形態が特別ではなくなったことも追い風になったかもしれません。
在宅勤務であれば通勤時間がないので、その時間を通い介護に割り振れるので私にとってはメリットが大きいです。
「同居しない介護」は、介護をしないお家時間を資格取得やスキルアップの時間に充てられることもメリットのひとつです。

まとめ

介護は人それぞれ様々な事情を抱えていますので、私が「良かった」と思うこの話は一例です。
介護はマニュアル通りに進むわけではないので、いろいろな介護のやり方を聞いて「自分の場合は」「自分の事情に合うのは」と考えて自分で決めて選択していくことです。
自分で知識や情報を収集して自分でやろうとする方がずっと前向きに介護をとらえることができます。

言ってみれば親の介護は逃れることは難しいので、どうせやらなければならないのならばたくさんの知恵を持って自分が決断してやっていく方が前向きにトライできると感じています。



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