親が大脳皮質基底核変性症と診断されたとき、家族が最初に考えるべきこと
「親が大脳皮質基底核変性症という難病の確定診断を受けたとき、
家族は何から考えればよいのか」
大脳皮質基底核変性症を治すことは現在できません。
「治らない病気」「稀な病気」「ゆっくりだが確実に進行していく病気」です。
そう聞くだけで、頭が真っ白になる人も多いことでしょう。
私は母が確定診断を受けた7年前に、Web上で情報を探しました。
どの記事も医学的な内容で同じ文章が並んでいました。
「この病気にどう向き合っていけばいいのか」「5年から10年で寝たきりになると書いてあるけど、そこまでにどうやって進行していくの?」など知りたい情報はほとんどなく、周囲の人たちの手を借りながら、手探りでここまで進んできました。
今回は当サイトにご連絡いただいたメッセージから、母の場合の回答を記事にしました。
この記事では、私が母と二人三脚で歩んできた経験から、
最初にやるべきことと
その次に本当に大切になる視点
について記録します。
この記事は医学的な話ではなく、
「生活をどう守るか」という、家族のための話です。
1.最初にやるべきことは「公的支援を整えること」
親が大脳皮質基底核変性症と診断されたら、
家族が最初に行うべきことは 公的支援の体制を整えることです。
理由は明確。
適切なリハビリを受けるため
費用がどれくらいかかるのかを把握するため
今後の生活の場を考えるため
難病本人がこれらを一人で行うのは、正直かなり難しい。
周りにいる家族が分担しながら進めていくと良いですね。
(私はひとりで行ったのでひとりでもできる量だと思います)
障がい者手帳の申請
主治医の意見書が必要。
母の場合は主治医からの提案で申請した。
正直、それまで「難病で障がい者申請ができる」とすら知らなかった。
特定医療費(指定難病)受給者証の申請
いわゆる「黄色の手帳」。
更新月は10月。
有料施設入所時に有利になることもある。
要介護認定の申請
介護度がつくと、ケアマネジャーが担当につく。
難病に詳しくなくても、一緒に調べてくれる人が何より心強い。
これらが実際に整うまで、3か月〜半年ほどかかることが多いのです。
これと並行して、施設にお世話になるのか、自宅で過ごすのかも考え進めていかないといけません。
意外にもやらなければならないことが多く「介護」というと身体介助を思い浮かべがちですが、
現実は書類記入、申請、調整といった
「名もなき介護」が圧倒的に多いのです。
仕事をしている場合は「介護休暇(注意:介護休業ではないです)」を利用しながら進めると良いです。
2.その人らしく生きるために「機能を守る」という考え方
その人が「その人らしく生きる」こと。
それは難病になっても、
失われてはならないものだと、私は母のそばで学びました。
人は最期のときを迎えるまで、
いかに人としての尊厳を守りながら生きられるか。
それが、人生の質を決めるのだと思います。
私が母の介護をする軸にしているのはこの考えです。
この考えを持つことで、落ち込んだり、悩んだり、苦しい時にも、なんとかやってこれました。
これは「母だから」「大脳皮質基底核変性症だから」というわけではなく
「ピンピンコロリでいきたい」と多くの人が願うのも、
特別なことを望んでいるわけではなく、
できるだけ普通の生活を続けながら、最期を迎えたい。
というのと同じことだと思うからです。
難病になったからという理由だけで、
その権利まで失ってしまう必要はありません。
周りにいる誰かが少し手を貸しながら、
できる限り「その人の人生」を支える。
それが、難病の人を介護するうえで
決して忘れてはいけないことだと、
長く母と向き合う中で、私は強く思うようになりました。
そして、それを叶えるために必要なのが
「機能をできるだけ長く持ち続ける努力」です。
大脳皮質基底核変性症は、薬で完治する病気ではありません。
進行を前提に向き合う必要があります。
だからこそ大切になるのが、
「機能をできるだけ長く持ち続ける努力」なのです。
私たちが普段、当たり前にしていること。
歩く(移動)
食べる(摂食)
会話する(意思疎通)
排泄する
着替える
入浴する(整容)
寝る(睡眠)
これらを、いつまで維持できるかではなく、
どうすれば少しでも長く続けられるか。
これが「その人らしく生きる」ための土台になる。
母の場合は左脳タイプで、右側から症状が強く出始めました。
症例が少ないため断言はできないようですが、
利き手側に出やすいという話を主治医から聞いたこともあります。
左脳タイプと右脳タイプでは、失う脳の働きが異なるので現れる症状が大きく異なります。
母の症状が出始めたのは2014年頃。
確定診断は2019年3月。
診断がつくまでの約5年間、
「お母さんの気の迷い」「お母さんは神経質」「まったく異常なし」と言われ続けました。
ちなみにこの頃が私たちふたりにとって地獄のような日々でした。
画像診断で左右の脳に明らかな差が出たとき、
ようやく病名がついたのです。
つまり、早期発見が非常に難しい病気です。
診断がついたことは、
決して嬉しいことではなかったのですが、
「わからない苦しさ」に終止符が打たれ、ここから母と私の二人三脚が始まりました。
まとめ
親が大脳皮質基底核変性症と診断されたとき、
家族が最初に考えるべきことは
リハビリの内容は第一優先ではありません。
まずは
公的支援を整え、生活の土台を作ること。
その上で初めて、
「どんなリハビリが受けられるのか」
「どう機能を守っていくのか」
を考えられるようになるのです。
大脳皮質基底核変性症の介護は長い。
だからこそ、最初の準備が
その後の時間を大きく左右するのです。
この記録が、
同じ立場にいる誰かの不安を少しでも軽くし
最初の一歩を少しでも軽くできますように。
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