大脳皮質基底核変性症|役割(代弁者)
このページでは、大脳皮質基底核変性症の母の介護における役割(代弁者)について記録します。
介護の現場ではどこかのタイミングで
本人の意思や考えを尊重し代弁する役割が
必要となってくることが多いと思います。
この「代弁する」ことを
「アドボケイト」というのだと
新聞の記事で数年前に知りました。
大脳皮質基底核変性症の母だから、
難病だから、という限定的ではなく、
本人が意見や考えを伝えることができないときに、
例えば子どもの代弁をする場合(「子どもアドボケイト」)もあるようです。
看護ルー(外部リンク):アドボケーターとは
私はこの言葉
「アドボケイト」
「アドボケーター」
を知ってから
母の介護をしなくてはならない
という重荷について
落としどころを見つけたというか、
ここまでが私ができる精一杯のことと線引きでき、
母との関係性に基準ができたような気がしています。
つまり、私は母の介護をするにあたり
母の気持ちや考えを代弁することが私の役割であって、
母の代わりに私が母の人生を生きるのではない、
と思ったのです。
気づかないうちに
母の人生を私が勝手に背負って、
重荷と感じて、
母とぶつかっていたことに気づいたのです。
子育ては、自分が子どもだった経験が
自分の中に少なからずあるので
予測したり予防したりして
試行錯誤を重ねながら
何となく乗り越えてきました。
でも「介護」は
自分が年を重ねて介護された経験がないうえに、
両親それぞれの気持ちや考えが存在し、
何が良くてどれが正解なのかは
それぞれなので、
生活面の不自由さの介護の前に、
精神面の不自由さが色濃く、
どうしたらいいのか
もやもやしていました。
まさに暗澹たる中を
ひとり歩いているような感覚でした。
1.役割を知る
母が不自由になり
自分で自分の人生のハンドリングが難しくなってきたとき、
母の今まで生きてきた基準や性格など、
一番身近にいて良く知っている私ならではの役割が、
母の気持ちを周りの人に伝えることでした。
母の代わりに
私が意思表示をするということができれば、
母を尊重し母が母らしく生きれる方法なのではないかということです。
母の気持ちを代弁するためには
前もってやっておくべきことがあります。
1.母のことをよく見る(観察)習慣をつけること
2.母と会話をしやすい雰囲気をつくっておくこと
3.母が自分の考えや意見を言いやすいようにしておくこと
4.母の話をしっかりと聞き取ること
5.母の意見を否定しすぎないこと
6.母だったらどうしたのかと考えること
7.それが合っているか確認してみること
8.母が「任せる」と言ったときに母の考えを代弁してみる練習をしておくこと
9.母の失語の症状が出てきても母から表出される何かをつかみ取るようにすること
関連記事(内部リンク):コミュニケーション術
母をどうにかしなくてはならない
と闇雲にもがいていたときよりも、
やるべきことがわかり、
そして母を深く理解しようと
自然とするようになったことで、
母との関係性も良くなってきました。
当然、母と私の価値観も異なり、
母が望むことが私が望むことではなく、
また逆も然り。
その状況下で、
私がハンドリングするならば、
「私のやり方に添ってもらう必要がある」
みたいな考えに陥ってしまっていた場面も多くあり、
母と喧々諤々していたのだと思います。
私が良かれと思ってハンドリングして進む道は、
おそらく私の意思で成り立つ方向であって、
母が母らしく生きる方向ではないと、
「代弁者(アドボケーター)」という役割を意識してから気づいたのです。
2.役割の立ち位置を知る
母の介護は
母のチームのメンバー(医師や看護師、介護スタッフ、ケアマネジャー、言語療法士など)の
集合体で成り立っています。
私が担うのはその中の一部分です。
そして母に最も近い重要な位置です。
母の気持ちを周囲に伝える発信係です。
そしていつも起点(スタート)であることを忘れないでいます。
ここでは
1.母の話をすることを常態化しておくこと
2.お互いのWinWinを考えて落としどころを見つける習慣をつけること
3.自分のペースで事を進めないこと
がチームの一員として特に重要になってきます。
母の代弁者である任務を果たすことも重要ですが、
母のチームのメンバーとして活動し、
メンバーとの良好な関係を構築することも
大事な役割のひとつだからです。
こうやって自分の立ち位置や
やれるべきことを具体化することで、
自分が手を出せる範囲がわかってくるので、
私がやるべきことが明確になり、
あれもこれもと余分に抱える必要がなくなります。
母の介護と自分の生活とのバランスを保つ私なりの方法です。
3.まとめ
介護における役割のひとつ「代弁者(アドボケーター)」を
意識したことで、
私にとっては介護に向かう気持ちが楽になりました。
またひとりで母の介護を背負うものではなく、
母の介護チームのメンバーの一員として
役割を果たしていくことが、
母の介護をうまく回し、
介護と自分の生活を両立させる手立てのひとつなのかもしれません。
自分の人生は自分のもの
命は尊く大事なもの
たとえ母が寝たきりになったとしても、
母は母であり私の家族であることに違わないので、
母が母らしく
穏やかに時間を過ごしていけるように
と思っています。
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