大脳皮質基底核変性症|退院後の状態変化




大脳皮質基底核変性症|退院後の状態変化

このページでは、大脳皮質基底核変性症の母の「退院後の状態変化」について記録します。

「入院」をすると、環境が変わるため、「変化」が起きることがあります。
それはおそらく誰にでも当てはまることであって、難病に罹患している母だからというわけではありません。

病院は治療する場所であって、リハビリを主目的としているわけではないので、治療のためにベッド上でずっと寝たきりになったり、食事を取ることができない状態(絶食)だったり、面会制限によって人からの声掛けが少なくなったりします。
治療優先なので生活する上で必要な機能を使わなくなることがどうしても出てきます。

それであっても、退院後に、少しずつ生活能力を元に戻していけば入院前の状態に戻ることもあります。
例えば、胃ろう造設したときは入院前よりも良い状態へとなりました。

穏やかな生活の中で、「入院」はちょっとした躓き程度のこととなるように注意深く介護する側が配慮しなければなりません。

母のように機能を失ってしまわないようにゆるやかな下降でいくには、入院よりも退院後に焦点をあてておくことが、必要だと感じました。





1.入院したら



母は発熱が続き入院となりました。
そうなると介護者の私が急いでやらなければならないことが出てきます。

◆サービス停止

まず入院をしたら、受けているサービスを停止(中止)することが必要になります。
これは介護者自身がそれぞれに連絡して行ってもいいですが、誰に言えばその後すべてを引き受けてくれるかと考えると、それはケアマネジャー。
ケアマネさんに報告をすると、ケアマネさんから各サービスに連絡をしてくれます。

◆連絡先選定

私の場合は、ケアマネさんと母の居住施設にそれぞれ連絡しました。
このふたつに連絡を行うことには意味があり、この先、母の状況(病院での様子など)を定期的に知らせる窓口としてどちらも欠かせないと判断したからです。
入院で必要になったものを施設の母の部屋に取りにいくこともあり、施設側で用意して持たせてくれるものもあり、入院しても戻ってきたときのことを考えて施設側とお付き合いをしておく必要があります。

◆治療に専念できるように

入院時に入院オリエンテーションとして説明があります。
そこでは母の現在の生活状態を確認されます。
また母の退院に向けての調整を誰にしたらいいのかと聞かれます。そのときに上記の連絡先を伝えます。

母が今の状態でできること、その機能を守りたいことをきちんと伝えます。
施設側から預かった情報があれば伝えます。

母には退院するまで病院のルールに基づいて生活をしていかなければならないことを伝えます。
面会時間について説明し、面会に来ることを伝え安心してもらいます。


2.退院がみえてきたら



治療して病状が落ち着いてリハビリなどが始まってくると、面会時に看護師さんから「退院」の話がチラチラ聞こえてきます。
正式には病院にいるケースワーカーさんから「退院調整を行います」と連絡が来ます。
「退院調整」は私が連絡先に選定したケアマネさんと母の居住の施設のふたつに連絡が行きます。
母が何時に退院し施設までどうやって帰るのかなど確認があります。
介護タクシーが必要な場合は予約をしてくれました。

介護者の私が行うことは、連絡先に選定したふたつのところに連絡をすることです。

◆サービスの再開のお願い

●ケアマネさんに今まで受けていたサービスの再開のお願いを連絡します。
退院してできる限り早くサービスを再開してもらう必要があるからです。
サービスは母(介護者の私)との契約になっているので、私からサービス再開の意思をきちんと伝えます。

●母の居住の施設にもサービス再開の連絡をします。
当然、ケアマネさんから連絡が入っていることと思いますが、母が退院後暮らしていくにあたり、お世話になる旨の連絡を入れます。
母が戻ることを施設で共有してもらい、施設の中の暮らしごとに母の存在を混ぜてもらうことをスタッフさん全員に意識してもらうことが狙いです。

母自身でできれば私がすることはないのですが、そうではないので私が代わりにします。

3.退院後の状態変化



私が今回失敗してしまったことがあります。
突然の入院になり、母の穏やかな生活の中で入院を小さな躓き程度に納め、退院後にまた穏やかな毎日にスムーズに戻ることで、機能を維持もしくはゆるやかな下降をえがくことを目指していました。

退院支援がスタートし退院まで実質2日くらいしかありません。

時間的に短いのですが、日常的に生活をする上で行うサービス(介護や看護)の再開は比較的簡単にできます。

また入院期間が半月程度だったので、停止した外部サービスの再開もほぼ同じ時間に受けることができました。


ところが、母の場合、言語聴覚士によるサービスにおいては、「再評価」が必要だったのです。

入院してから病状により絶食となりその後胃ろうからの栄養摂取になったものの、病院で口から食べることは一切やっていなかったので、半月程度食べ物を口から摂ることは全くなかった状態が続いていました。

そのため言語聴覚士サービスの嚥下訓練を再開するには、母の飲み込み状態を再評価することがマストであり、評価には医師の指示も必要であり、評価する言語聴覚士さんのスケジュール確保などが必要でした。

言語聴覚士のサービスには嚥下訓練以外に、発声練習や会話訓練などあります。
この嚥下訓練以外のサービスだけを受けるならば、そのままサービス再開できました。

でも嚥下訓練を希望するならば、退院後の母にとって半月程度口を動かしていない状態では誤嚥性肺炎になるリスク大なので、まずは「再評価」がなくてはならなかったのです。

再評価の結果によっては、「食べ物を使って嚥下訓練する」というサービスを受けることもできなくなるということです。


これらの流れもそうですが、そもそもサービス再開の内容を詰めることを全く私は失念しておりました。

再評価がないうちは母は全く口から食べることはできない状態になりました。
結果、スケジュール調整などで再評価の日まで、1か月(入院してから1か月半)が無情に過ぎていきました。

入院をすると、がくんと機能が落ちてしまうとはよく聞く言葉ですが、退院後にスムーズにもとあった生活に戻ることができれば、少しずつでも機能を維持できるかもしれません。

万が一入院した場合は退院を見据えて退院後にスムーズに入院前と同じ生活を担保するよう努めることが大事だと感じました。

言語聴覚士による「再評価」の結果は、覚醒しているときになら口に入ったものを噛み砕き舌で送り込み飲み込みできるとのことでしたが、「誤嚥リスク大、それでもやりますか?」というものでした。
母にとって1か月半、何も口にしないことは大脳皮質基底核変性症と相まって、食べることを忘れてしまったかのようでした。

母に「おいしい」「甘い」など味覚からの刺激を受け続けてほしい思いもありましたが、それが難しくなりました。

また、固縮が体全体に強めに出てきており車いすに座っても、ベッドで寝ていても、「後屈」気味です。
以前より後屈が強く、そして長く続いているため、姿勢的にも「誤嚥リスク」は避けられない状態になってしまいました。




4.まとめ

母は発熱が続き(インフルエンザでもコロナでもなく)入院になりました。
入院は「治療」目的であり、いままで送ってきた毎日の生活と同じようにはいきません。
でも「入院」を結果的に特別なこととせず、治療が終わり退院となったらもとの生活へスムーズに移行できるように配慮することが重要です。

できる限り「退院後の状態変化」を少なくするために退院の目途がついたときから準備や配慮が必要です。

大脳皮質基底核変性症はゆっくりと進行する病気なので、できる限り、いま持っている機能を持ち続けることを目標にしているからです。

この難病によって脳の中の神経細胞が脱落し、ただでさえ機能的に不可能になるのですが、そこで諦めてしまったら、寝たきりに確実になってしまい長い時間をただただベッド上で天井を見て生活していかなければならなくなります。

毎日の生活面でいまできる機能を保ち続けることで、病気による脳の障害を払拭できる可能性を探しています。

以前主治医にもらった言葉
「お母さんはいろんな能力をもっているし人間はすごいので何か他の能力でカバーするかもしれない。私たちが思っている以上に人間にはいろんな力を秘めているので、それを信じて行きましょう。」
内部リンク:「大脳皮質基底核変性症|難病への向き合い方」

大脳皮質基底核変性症という難病であり治る見込みはありません。
例え今の段階で治らないとしても、症状を先読みしながらリハビリを重点的に行えば、難病罹患した人ができるだけ長く人として尊厳を守られながら生きていける可能性があることを信じています。




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