大脳皮質基底核変性症|「介護施設に親を入れるのはかわいそうなのか」介護歴10年超えの私が考える




大脳皮質基底核変性症|「介護施設に親を入れるのはかわいそうなのか」介護歴10年超えの私が考える

このページでは介護歴10年超えの私が「介護施設に親を入れるのはかわいそうなのか」「介護施設で過ごす親はかわいそうなのか」について考え、
「施設介護で良かったのかも」と感じることを記録します。

介護が必要な親の住処を
どこに置くのかということは、
介護する側にとって
とても重要なことだと感じます。

<関連記事>
「同居しない介護」を振り返って良かったと思う5つのこと(内部リンク)

介護歴を積み上げると、
当然、介護への向き合い方の考えも変わります。

施設に入所している大脳皮質基底核変性症の母を看ていると、
ふとしたときに
「一緒に暮らした方が母は喜ぶのかな」
と感情がまず先に立ってしまうことも多くあります。

ー介護施設で過ごす親はかわいそうなのかー

介護を通していろいろな人と巡り合い、
同じような介護をしている方などと話をする中で、
なんとなく介護のスタイルを比較したり、
もしうちがそうだったらと想像してみたりするのが現実です。

長きに渡り、
自分の中にある「介護施設で過ごす親はかわいそうなのか」
という問いとそこにひっそりと隠れている罪悪感。

いつも、そして、いつまでも葛藤していても、
そこの中に「これが正解!」というものはありませんが、
私にとって、母にとって、
「やっぱり良かったな」「良かったのかも」と思うことをまとめます。





1.親孝行



親孝行とは
「親を大切にし、真心をもってよく尽くすこと。また、そのさまや、その人。」
引用:goo辞書(外部リンク)

親孝行って何だろう?

親が弱ってきたとき、「私が看るべき」と
親のお世話を近くで精力的にすることである、
と思っていた時期があります。

生活する手助けが必要になったとき、
家族の中の誰かが手助けを献身的にしないといけない
と思っていたからです。

それをすることが親孝行だと決めつけていた私がいます。

大脳皮質基底核変性症だと診断される前の母が
「手が痛い」と言って片手を使えない不自由さを
私が何とか担おうとしていたとき、
母と私がバランスよくうまくやっていっていたかと言えば
そうではありません。

仕事があり、家庭があり、子育てがあり・・・
自分のことをいったん置いておいたとしても、
母のお世話をするために
割ける時間は限られており、
母にとって満足のいくものではなかったようです。

何か困ったことが起きたとき、
いとも簡単に関係性が悪くなるのは、
介護において多くあるような気がします。

ー介護施設に親を入れるのはかわいそうなのかー

この関係性が好転したのは、
母が施設に入り落ち着いてきた頃です。

施設入所を決めたときの母の様子、
施設のドアを開けて入っていく母の姿を見たとき、
今まで住んでいた家を「見たくもない」
と強がって言った母を見たとき、
胸が締め付けられ、この選択は合っているのかと思ったものです。

私は親不孝をしているのかもしれない。

ー介護施設に親を入れるのはかわいそうなのかー

人間ですからいろんな感情を抱くのは当然ですよね。

弱ってきた人をすべて受け入れて
相手が望むようなお世話をする力量や覚悟を
私が持ち合わせていなかっただけかもしれませんが、

施設入所をしないで
そのまま家で母に寄り添い何でも一緒に過ごしてしまうより、
「施設入所」で、
それぞれの時間や人間関係を持ちそれぞれの人生を過ごすことで、
新たな私たちの関係性が生まれました。

適切な距離感というのは当然人それぞれだと思います。

「物理的な距離」は
次第に母と私の関係をうまくまとめてくれて、
私は施設に入所した母を大切に想い、
真心をもって母に寄り添うことが
できるようになりました。

「心理的距離」もうまく取れるようになってきました。

これはひとことで言えば、「尽くす」ではなく「協力する」。

大切な家族に
心を込めてできる限りのことをする
「尽くす」
という感覚が、

必要なときはできることならできるときに
「協力する」
という感覚です。

これが私の「親孝行」のカタチとなり
親子の関係を再構築できました。

ゆっくり進行していく大脳皮質基底核変性症ならではの
多くの介護の時間があるからこそ
親孝行をするタイミングは多くあります。

主治医に
「ゆっくり進む病気なので長く介護が必要になります。」
と言われたときに
「長くゆっくりなので、私も曲がりなりにも親孝行ができるチャンスをもらえているのかなと思っています。」
と私が答えたら
「この病気の方の多くが、同じこと言います」と主治医は言いました。


2.すべては課題解決のため?!

時が流れれば、人は成長し続ける?
つまり端的に言えば、成長は老化だとも言えます。

年代的に若い頃は、
家庭でも仕事でも自分の人生を自分でコントロールし
「伸びる」「成果が出る」「期待を裏切らない」「維持できている」「貢献出来てうれしい」
など前向きに考えることに出合う機会が多いのかもしれません。

でも「周囲の誰かが介護が必要になったとき」というのは、
「遅々として進まない」「効果がない」「一気に落ちた」「気が滅入る」
などのマイナス場面に出合うことも多くなります。

自然と負の感情に支配されてしまうことが常態になります。

人はいくら備えていても、
やっぱり自分の身に降りかかって
初めてわかることが多いのかもしれません。

介護と一口に言っても、
介護される側も人それぞれ、
介護する側もそれぞれ、
どちら側も経験もない、
あっても万人に通用しない、
うまくやれないので悩む、困る、
時間をかけて落としどころを見つける、
最適解を探す、
などの行動をしながら
進むのではないかと自身の経験から思うところです。

では、そんなときにどうするか。

建設的な考えを持つ努力を、介護する側がすること。

こんな答えにたどり着きました。


ー介護施設に親を入れるのはかわいそうなのかー
ー介護施設で過ごす親はかわいそうなのかー

私の場合

  • 私が実家へ通いながら
    行った介護をうまくできず
    (正しくは、母の望む介護をすることができず)、
    介護サービスを受けることができる場所(施設)
    に引っ越してもらいました。

  • 私の介護とは比にならない
    上手な介護サービス(プロのサービス)を
    母は受けることができるようになりました。

  • 私が時間を作って「実家」に通っていたのを、
    通う場所を「施設」にしただけです。

  • 母にかかる時間を
    私と施設スタッフさんと
    分担制にしました。

  • 難病だからこそ、
    介護だけではなく医療を受けられる
    体制作りを早めにしました。

  • 私の行動が
    第一線で行う介護から、
    コントロールするポジションへ
    と変わりました。

すべて母が穏やかに過ごすことができる
手立てを整えることに他なりません。

できるだけ母の持つ機能や
母ができることを維持して、
緩やかな下降線を辿りながら、
人生を全うすること
を目標と掲げました。

そのために、
母はどういう考えなのか、
母はどう生きたいのか、
自分で気持ちを表現できるうちはいいのですが、

大脳皮質基底核変性症だとわかってから、
いずれ発症する失語により
介護のかじ取りを私がしていかなければならないことを
念頭に置きながら、

負の気持ちに支配される時間を可能な限り減らし、
どうやってこの問題を解決していくのか、
に集中しようと思って進んできました。

「介護をする技量」と
「仕事をする技量」は
異なるようで、私は似ていると思います。

問題解決(課題解決)にどうアプローチするのか。

アプローチの仕方は人それぞれ。
ミッション(使命)もバリュー(価値)もビジョン(将来像)もそれぞれ。
建設的な考えを持って臨む。
ここからヒントを得ました。



ー介護施設に親を入れるのはかわいそうなのかー
ー介護施設で過ごす親はかわいそうなのかー

  • 実家で私が介護をすることができない。

  • 母の生活を守るには私の介護では足りない。


という問題に対して、
解決策は「施設入所」という方法。

母の生活が不自由なく送れるように
各種サービスを受け、生活面を充実させること。
私と母娘の関係性を濃く持ち続けること。

ミッション(使命)は
介護が必要となった母が
穏やかに生きていけるように協力すること。

ビジョン(未来像)は
母の持つ機能や
母ができることを維持し、
緩やかな下降線を辿りながら、
寝たきりにならない。
どこを思い出しても
楽しかったことを思い出せるように、
母と楽しい思い出を作ること。


解決策は「施設入所」という方法しか、
その当時思いつかなかったのですが、

これで私たち親子は
「母と娘」という関係性を再構築し、
維持し続けています。



3.まとめ

マイナスのことが多いと感じるも
「介護」を、やらなけばならない、やろう
とする場面において、
いかに少しでも良い未来像を
持てるのかという観点から
「介護施設に親を入れるのはかわいそうなのか」
「介護施設で過ごす親はかわいそうなのか」
について振り返ってみました。

正直、瞬間的にかわいそうだと感じたことがありますが、
それだけにとらわれず
試行錯誤し、
結果的に得たものの方が多く、
私にとっては「施設入所」以外の答えはなかった
と思って満足しています。

大脳皮質基底核変性症という難病を患い、
ゆっくりゆっくり進行する病気に
合わせた介護となっています。

いつの日だったか
公園にふたりで散歩に行ったとき

母は
「こうやってまた楽しく話がしたかった。るしこちゃんがいてくれて良かった。ありがとう。」
と言いました。


いまはもう多くを話すことができない母なので
母から二度と聞くことができない言葉ですが

母とともに歩んできた私たちの介護スタイル
「施設入所」は
私たちに合っていると思います。




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