大脳皮質基底核変性症|失語の症状が出てきた母は鼻唄を歌うのは無理なのか
先日の通院で、待ち時間が長いので、母に音楽を聴かせていました。
それを見た主治医が、「音楽を聴いているの?いいですね~何を聴いているの?」と声を掛けてくれました。
そこで私が母に積極的に音楽を聴かせるようになった経緯を説明しました。
今回は、「大脳皮質基底核変性症で失語の症状が出てきた母は鼻唄を歌うことはできないのか」というテーマでまとめます。
1.ふと流れてきた音楽がきっかけで
私は母の耳元で、スマホを使って音楽を流すようになったきっかけがあります。
それは橋幸夫さんが亡くなった日、母の部屋では、ワイドショーでは橋幸夫さんの曲が流れていました。
繰り返し、繰り返し。
聞くともなしにいると、ふと母から何か聞こえてきたのです。
私の主観かもしれませんが、その音楽に合わせて、何かをつぶやいている音(言葉としてははっきり聞こえないけど)でした。
最初は何か苦しくて声を出しているのかなと思ったので、母の口を見て、口から出てくる音に注意深く耳を傾けました。
するとなんとなくある一定のリズムがあるように聞こえてきて、「ふん…ブツブツ…ん〜」みたいな。
テレビからは橋幸夫さんの歌声、それに合わせて何かを言っているような母の声。
「あっ、もしかして歌を思い出しているのかな」と思ったのです。
それからは、母に昔の音楽をチョイスして聴かせています。
母はその音楽に耳を澄ませて、目が大きく開いたり、目をキョロキョロさせたり、ときにはまた何かをブツブツ言っているようなときもあり、音楽にあわせているようなときも。
特に母は音楽が好きというわけでもなかったし、音楽に造詣が深いわけでもなかったので、どんな音楽が好みかもわかりません。
なので、一番元気で溌溂としていた頃に耳にしていただろう音楽を中心に選曲しています。
たぶん母が世の中の音楽が聞こえてきていた時代。
それは、子育て中。
私が子ども時代に、歌謡曲番組をみているときに、一緒の部屋にいた。
母は私の隣に座っていた、そんなときの音楽を勝手に選んで聴かせています。
2.主治医の答え、そして私が調べてみたこと
話はもとに戻り、主治医に橋幸夫&母の鼻唄エピソードを話したら、しばらく間があいて、
「大脳皮質基底核変性症で失語の症状がある人は鼻唄は歌えません、おそらく違うものです。聴覚は残っているのでちゃんと聴こえていますが。」
と言われてしまったのです。
「鼻唄は言語野を使うので、言語野がやられている人は歌えないと僕たちは最初から思っているので、こういうことを研究している人はいません」
主治医が考え込むようにして間があいたのは、頭の中で大脳皮質基底核変性症にまつわる研究など文献をを思い浮かべていたからかもしれません。
「鼻唄を歌うなんて…そんなことは考えたこともなかったな」という言葉から想像しても。
主治医との話の結論としては「言葉ではない何か」ということで、話は終わってしまいました。
つまり大脳皮質基底核変性症の母は、音楽を聴いても、それに合わせて鼻唄を歌うことはできない、と学術的にはそういう結論だったのです。
ということで、その後自分なりに調べてみました。
まず言葉の定義「鼻唄」と「ハミング」は異なるということ。
鼻唄は歌詞やメロディーに合わせて小声で歌うこと。
ハミングは口を閉じたまま音を口から音を出すこと。
つまり歌詞を音程にのせるならば、それは鼻唄。
歌詞をのせなければハミング。
ハミングは言語野が関与しないで音楽野(右半球)を使う。
ということらしいです。
私でも、歌詞を正確に覚えていない歌は口ずさみます。
これも音楽的要素の方が強いということみたいです(ネット情報、AI情報によると)。
私は母が「…ブツブツまたはふん…ん」と言っているように聞こえたのは「鼻唄」というより「ハミング」だったのでしょう。
母に音楽を聴かせたい理由
音楽が流れてきて、ふと思い出があふれることはありませんか。
中学生の頃に聴いていた音楽が流れてきたら
「懐かしい」とも思います。
同時に、一緒に情景が蘇って、中学生の頃の自分に戻って、その情景を見ている、みたいな。
音楽って一瞬にしてタイムスリップでき、自分の頭の中に、その音楽によって引き出された思い出が再現できると思います。
私は母に音楽を聴いて、頭の中に昔の映像が蘇ってきているといいなと思っています。
ベッドで寝ているだけの時間を、彩りある時間にすることができると思っているからです。
それは、味も同じ。
「桃」を味わえば、それが連れてくる光景が頭の中に拡がる。
それを目的にして、毎週言語聴覚士さんとともにお楽しみ程度の味覚を楽しんでもらっています。
母には母が生きてきた分だけのたくさんの思い出があります。
それは母だけが持つ財産です。
財産を持っているだけではなく、思い出して、それを楽しい時間に変える。
味覚だったり音楽だったり、引きだすことができる力を使って、母の人生を母の中で再現できたらいいなと思っています。
私ができる母の心のリハビリです。
難病になったからってその人らしさがなくなったわけではありません。
難病になっても、母は生きている。
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