「寝たきりでも、楽しみはつくれる」〜大脳皮質基底核変性症の母に届ける【彩りある時間】〜




「寝たきりでも、楽しみはつくれる」〜大脳皮質基底核変性症の母に届ける【彩りある時間】〜


「寝たきりになったら、人生に楽しみはないのか?」

そんな問いを私は母とともに続けています。

「寝たきり」になったら、無味乾燥な時間を過ごすしかないのか、という疑問に、私は母とともに「いいえ」と答えたいと思っています。

このページでは大脳皮質基底核変性症で寝たきりの母と過ごす日々において、外の空気、味覚、思い出の力で「心が動く時間」をつくる工夫を、実体験から記録しています。



1.頭の中は意外と「しっかりしている」という事実



大脳皮質基底核変性症は、難病で治る見込みのない病気ですが、それは固縮が強く、まずは片側に強く症状が出て、次第に身体の自由が失われていく進行性の病気です。
進行すると失語症状が出てきて、自分から発する言葉が全くなくなり静かになってしまいます。

それでも、初期〜中期、あるいは寝たきりになっても「認知症」とは異なり、意識や記憶がはっきりしていることも多く、頭の中では理解をしている、でもそれを表出する手段がないという状態で、まさに母は現在そのとおり。

主治医は通院のたびに、「お母さんは何も言わないけれども、僕たちの会話を聞いて、頭の中で理解しようとしている、ぐるぐるフル回転状態。もしかしたら「余分なこと言わないで〜」とか合いの手を入れたいかも。」

主治医が「ね、〇〇さん(母の名前)」と母に向かって言葉をかけると、母はしばらくして目を開け、主治医の顔を見て、そして少しじっと見て、そして目を閉じました。

何も言わない母ですが、「すべて聞いていますよ」と言わんばかりの様子です。

主治医は今度は私に向けて「ね?お母さんは反応に時間はかかりますが、ちゃんと聞いているのです。だからこの通院はリハビリでもあるけど、頭の中も、ものすごく疲れていると思います。」と言いました。

このように、大脳皮質基底核変性症の母は、何もわかっていないように見えて、実はそうではないということなのです。
つまり多くの時間を過ごすベッドの上でも、本人の中では多くのことを感じ、思い、覚えているのだと思います。

私たちが「何も言わない」と思っているその沈黙の中に、もしかしたら何百もの言葉や感情が渦巻いているのかもしれない――そう思って耳を澄ませば、母の静かな心のうちが見えてくるのです。

母の心のうちにあるもの、「内面の豊かさ」をどう守り、育てるかが、介護者の私の挑戦であり希望でもあるのです。

2.「彩りある時間」を持つためには――外に出ることから生まれる



ベッド上から車いすに乗って、部屋の外へ出る。

ただそれだけで、四季の空気、鳥の声、陽ざしの強さ、通り過ぎる人の声や車の音などが「記憶」と結びつくことができます。

「ベッド上にいなくてはいけない」ことが必然となったら、季節の空気感を感じることもできなくなり、外で感じる季節の匂いも部屋の中では感じることができません。

大脳皮質基底核変性症で体に力が入っていて全身が固まってきているものの、現在も何とか車いすに座っていることができます。
車いすに座るためには、重心の置き方や、自分で姿勢を正し続ける力も必要です。
これらの力の継続には普段からの「機能をおとさない」という心持ちで、できるだけ離床機会を持つように努力しています。


この機能はいずれこの難病によって失われることはわかりきっているので、ギリギリまで持ち続けることを意識しています。

「ベッドではない場所に身を置く」ことが、頭の中を刺激し、心を動かすことができるのではないか――

例えば、匂いを感じることでふと記憶が蘇る、雨の匂いを感じて、記憶の中にある情景が浮かぶ、
そんなことは誰だってあることだと思います。

母の中にある記憶と結びつく「何か」を刺激するだけで、母の頭の中はそのときにタイムスリップして、彩りある時間になっているのではないかと思うところです。

母にとっては「ベッド上ではない場所に行くことができる」ことは、冒険や旅と同じ価値があるのかもしれません。
このような「彩りある時間」はどんなに重度の状態であっても、小さな外からの刺激が記憶の扉をそっと開いてくれるのではないかと私は信じています。


3.「彩りある時間」を持つためには――味わいから記憶をよみがえらせる



嚥下訓練を兼ねて、ほんの少しの果汁をベロ上に乗せる。

母は味を感じ、目を大きく見開いたり、穏やかな表情をしたり、涙を流したり、もっとほしいと口を開けてねだったり。

恍惚感というたった3文字だけで表現するには足りない、そんな満足気な顔を見たら、ベッド上にいる母がイキイキと輝いているように私は感じます。

たったほんのわずかな味から、「昔食べたあのりんご」「子どもたちと一緒に過ごした食卓」の記憶がふわっと浮かんでくるのかもしれません。

私でもふと口にした味覚から、「あっ、あのとき食べた味!懐かしい」だったり、「おいしい」と満たされたりするので同じことかもしれません。

例えば、小さい頃、夏休みの昼寝から起きて飲んだとても冷たいレモン水。
「蜜がたくさん入ってるからとてもおいしいよ」といわれて食べた信州リンゴ、蜜の味ってなんだ?と思ったあのリンゴのすっぱい甘さ。
レモンやリンゴの味から引き出される記憶は鮮明です。

母にもそんな記憶の宝箱がきっとある。
だから私はほんのひとしずくを母のベロに乗せることで、母の記憶が呼び起こされ、ベッド上にいることを忘れてしまうほどの想起がある、と信じているのです。

普段から常に感じている味覚は、特別なものではないと思いがちですが、介護を必要とする人にとっては大きな効果があるのではないかと、母を見ていると実感するのです。

失語があっても、身体が動かなくても、それは間違いなく「生きている感覚を取り戻す力」であり、内にある記憶を呼び起こしたり、感情を揺さぶるものだと確信しています。




まとめ



彩りある時間とは、「大きな出来事」ではなく、「小さな感覚」に宿るものだと思います。
毎日を忙しく過ごす私にとって、大きな出来事にばかり目を向けがちですが、本当はすぐ近くにある「小さな感覚」があってこそなのかもしれません。
人の手助けを必要とし、病魔に侵されている母の姿をみていると、そんな気もしてきます。

ベッドで過ごす時間が長くなっても、工夫次第で「彩りある時間」、言い換えれば「頭の中が花が咲いているような癒しの時間」「感情をも引き出す情景」を母に届けることができる気がしています。

大脳皮質基底核変性症という難病の中にあっても、介護者として私たちができることはある。
それは
残された機能と記憶をそっと結びつけ、「彩りある時間」を共につくること。

たとえ「寝たきり」であっても、刺激の仕掛け次第で「心が動く時間」を持つことができると、私は母から教わっています。

人が人らしく、つまり母が母らしく生きることができる工夫に、私は挑戦していきたいと感じています。




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