
大脳皮質基底核変性症|介護者の私が体調を崩したら。
〜施設入所中の母に起こる「見えにくい変化」〜
「施設に入っているなら、介護者が体調を崩してもそこまで問題はないでしょう?」
在宅介護と違って、施設介護ならそう思う方も多いかもしれません。
でも実際には、介護者の不在が思わぬ形で影響することがあります。
今回は、私が体調を崩したときに、施設入所中の母に起こった変化や、事前にできる備えについて記録します。
1.通院予定の前日に私が発熱、どうなる?
症状がなくても「病気の可能性があれば=立ち入り自粛」が常識的ルール。
母の入所施設では、面会は自由。
面会にいつ行ってもよく、〇分という決まりもありません。
宿泊もOK。
施設内へ立ち入るときはマスク着用するという一般的ルールは必須ですが、面会しやすい恵まれた環境だと感じています。
そのためか、面会者は比較的多い方だと思います。
私が先日発熱し、病院で感染症の検査をしても陰性という状態。
でも施設側にとって感染リスクがゼロではないことを考えて、私の立ち入りは遠慮することにしました。
今回、私にとって問題だったのは発熱のタイミング。
それは「母の月1度の通院日の前日」だったことでした。
今回は通院日前日が祝日だったため、病院へのキャンセル連絡をしても連絡がつかない。
延期しようかと思っても、薬の処方を兼ねた定期通院だったため、薬の残数も気になるところ。
仮に延期することになったとしても、タクシーの予約、通院介助サービスの予約などあり、方々のスケジュール調整が再度必要になるので、簡単にその場で延期日を設定することもできませんでした。
もうひとついえば、自分の仕事のスケジュールも複雑に絡みます。
こんなときのために!と通院介助サービスを普段から活用することにしています。
私の不在時でも安心して任せられるよう、介助スタッフには母の状態を定期的に共有し、信頼関係を築いてきました。
今回のような不測の事態にも、「いつでも代われる人をつくっておく」ことが役立ちました。
私がいなくて母も不安であろうと思うものの、いつも付き添ってくれる見知った人がいるのできっと心強かったことでしょう。
私がいなくても問題なく主治医の診察、次回の予約、支払い、薬の受け取り、施設から病院間のタクシーの同乗まで介助スタッフがしてくれました。
2.母との連絡が突然途絶える
「いつも来るはずの娘が来ない」という不安。
母にとって私は、安心できる存在であり、施設スタッフさんや様々な外部スタッフさんとのパイプ役。
突然数日間も姿を見せなくなることは、想像以上に大きな不安を生んでいると思います。
特に今は失語の症状が進み、「言葉にして不安を表現する」ことが難しくなっているため、問題なく見えるかもしれませんが、母の中では不安がどんどん増殖していくのかもしれません。
大脳皮質基底核変性症では理解はできる段階のため、「娘がなぜか来なくなった」と理解するもののその理由が発熱であり、治れば来るという見通しも、母の今の力だけではたどり着くことができません。
母だけの世界の中で不安になっている状態が続いているのです。
対応の工夫:施設側への「継続的な声かけ」のお願い
そこで私は施設側に「継続的な声かけ」のお願いをしました。
施設の職員さんに、私が来ることができない理由、私の症状を説明してもらうのはもちろん、数日間にわたり同じ話題を繰り返してもらうようお願いしました。
「来ない」のではなく「必ず戻ってくる」という安心感を、ゆっくり伝えてもらう工夫です。
3.母は寝たきりで過ごす時間が増える
「私が母にしている介護」は意外と大事だった
普段私が行くときは、母がベッドから移乗できるように心掛けています。
ベッドに寝ている状態が母にとってもしかしたら一番楽な姿勢かもしれないのですが、そうしておくと車いすに座ることができなくなりそうです。
現に体が固縮し後屈しているのが母にとっていつもの状態になっているので、車いすに乗っても、体が曲がらずずり落ちそうな姿勢になっています。
大脳皮質基底核変性症は、筋肉がギューッと固まっていく病気なので、ベッドに寝たままにしておくと、体全体が固まっていきます。
この症状は止めることができないので、いずれはどうにもできなくなる日がくることは主治医から教えてもらっています。
何もしなければ早々に車いすに乗れなくなるほど体が固まってしまうのが目に見えている。
いまいる場所から自由に移動できることが理想ですが、それができない母の場合、誰かの手を借りてでも、ベッドではない場所へ移動できる力は残しておかないと、ベッド上で過ごす世界しかなくなるのです。
私が母のところへ行くときには、散歩、姿勢を整えるマッサージなどを行うようにしています。
でも私が今回のように病気になって行けない日が続くと、それらはすべて止まってしまいます。
結果、母にとって活動時間が極端に減ってしまうのです。
対応の工夫:できる範囲で頼り、後で取り戻す意識をもつ
母がベッドから車いすへ移乗するタイミングがあれば、その時間を少しでも長く取ってもらうよう施設へお願いしました。
例えば入浴の後や、シーツ交換のときなど。
それ以外には、「私ができないのだから仕方ない」と受け入れたうえで、回復後にその分を取り戻すよう意識して動くことにしました。
100点満点の介護を目指すのではなく、「できるときに、できる範囲の最善を」積み重ねる姿勢を目指すが大切だと感じました。

4.介護者の体調管理もまた「介護のうち」
主治医から言われた一言
「今の進行状態で、これだけの状態を維持できているのは、お母さん自身の力もありますが、娘さんの普段の心配りがあってこそです。」
寝たきりの時間が短くて済んでいるのは、私が声をかけたり、車いすに座らせたり、外に連れ出したりを諦めることなく、継続的に続けてきたからと主治医は言います。
つまり、介護者がどれだけ介護に「適切にかかわっているか」によって、病気の進行の体感速度は大きく変わるということ。
だからこそ、私自身の健康を守ることは「介護の一部」でもあるのです。
併せて、サービスを併用しながら、万一の備えをしておくことで、「倒れたときに崩れない介護体制」をつくっていく。
それが母ができるだけ自分のできることを持ち続け、自分らしく生きていけると思うから。
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