
大脳皮質基底核変性症|経口摂取(食べる)
このページでは、大脳皮質基底核変性症の母の経口摂取(食べる)について記録します。
母の現在の状態では
「口から物を食べることはリスクが高い」
という言語聴覚士さんの評価のもと、
母は日常生活から
「食べる」という行動を
とうとう手放さなければならなくなりました。
診断されてから5年半。
大脳皮質基底核変性症の症状が出始めてからおよそ10年のことです。
「経口摂取」というと堅苦しい言葉に聞こえますが、
簡単に言えば私たちが口から食べることです。
人は食べ物を口に入れて噛んで飲み込んでいます。
通常意識しないで毎日行っていることなので
母や施設の高齢者の方の様子を目の当たりにしないと
改めて気づかないくらいの日常動作です。
言語聴覚士さんに教えてもらったのは
口をあける⇒
スプーンや箸が入る⇒
口びるを閉じて取り込む⇒
歯で噛む⇒
舌で飲み込みやすい形にしていく⇒
舌の上でまとめる⇒
圧力をかけてのどに送り込む
意識して行っていないがこれが一連の「食べる」動作
これらを人は当たり前に毎日毎食時に何度も行っています。
口から物を食べることは
生きるためだけではなく、
唾液の分泌で口の中を適切に保ち
口周りの筋肉を鍛えながら、
言葉を話す機能を維持します。
「おいしい」「もっと食べたい」
など気持ちの高揚は
五感とともに脳へ刺激が送られます。
食事通して人とコミュニケーションがうまれたり、
意欲的な行動に繋がったり、
豊かな人生を送るための礎ともなっています。
1.口から食べる意味
母の場合、胃ろうを造設しているので
生きるための最低限の栄養は直接胃に投与されています。
これに加えて
母が好んで食べてたいと思う甘いもの、
例えばプリンやゼリー、ヨーグルトを、
食べたいと思う時に
少量だけど口から食べてきました。
胃ろうをしたのに
口から物を食べることを続けた理由は、
胃ろう造設時点で
嚥下機能が十分にあったこと(言語聴覚士さんの評価)。
口周りの機能をできるだけ長く保ち、
話す機能を難病で失うのを予防するためでした。
構音障害の影響で
「おいしい」とはっきり聞こえないにしても、
食べさせている側には
十分に伝わる言葉として、
「おいしい」と言い、
母にとって楽しい時間になっていたことは
想像に難くありません。
それが時間の経過とともに
母の口周りの力が徐々に落ち、
固縮からくる強いつっぱりによる後屈姿勢も相まって、
口から食べることが誤嚥を起こすこと、危険なこと
と言語聴覚士さんの評価により判断されたのです。
2.食べれなくなることで失うもの
では口から食べることがなくなったら母はどうなるのでしょうか?
難病の進行で「言葉を失う」ことへの
予防ができなくなります。母は「おいしい」と感じていた気持ちを
この先感じることができなくなります。一日のうち長く過ごすベッド上から
移動できるひとつの手段がなくなります。誰かと一緒に食べる時間を共有すること、
例えば食べさせてもらう人との時間がなくなります。母が味を感じて
そこから何か引き起こされる記憶、
例えば昔のことなど蘇るきっかけがなくなります。
彩りある時間や
彩りを感じるきっかけを失くすことは、
現在の母にとっては大きな痛手です。
例え誤嚥のリスクがあったとしても、
その瞬間を手に入れる方が大事だと思い
口から食べることを優先したらどうなるのだろうか
・
・
・
もしかしたらそれは
危険を認知していたのに、
それでもあえてする行動は
罪に問われるのだろうか
言語聴覚士の評価を受けて、
いろいろなことが私の頭の中を駆け巡ることになりました。
この難病、大脳皮質基底核変性症に罹り、
治療法がなく改善することもなく、
体が思うように動かすことができなくなり、
そこには痛みがずっと伴い、
ベッド上で天井を見ているだけの時間を
命がある限り過ごさなければならない中で、
食べることから得られていた感情の揺れは、
きっと母の元気な頃を思い起こす、
無味乾燥な時間に彩りを添えることに
繋がっていたのではないかと思うのです。
ふとある言葉を思い出しました。
亡き父が生前に誤嚥性肺炎を起こして
病院に入院したとき、
医師から言われた言葉です。
「人は口から物を食べれなくなったことはある意味死と同じです」
あの頃その医師の言葉を理解することができなかった私ですが、
今となっては言葉の裏にある深い意味を理解できるような気がしました。
この大脳皮質基底核変性症は個人差があるのですが、
- お母さんはよくわかっている。頭の中ではきちんと理解できている。
と主治医から言われるように、
母は多くのことを理解しているとすれば、
難病が引き起こすことすべてを受け止めているはずで、
苦しいはずなのです。
さらにそれを表現できないので、
相手に伝わることも伝わらず、
伝わらないので誰かに共感してもらうことで気が楽になることもなく…
いっそ何もわからなければ、
辛さを感じることもないのかもしれません。
命のある限り生きなければならないので
それまでの間、
母の無味乾燥した時間を
少しでも彩りある時間へ、
母が母らしく生きるために
私は何かサポートできないかと考えています。
3.まとめ
大脳皮質基底核変性症の母は
とうとう口から食べることができなくなりました。
リスクが大きいという言語聴覚士さんの評価により、
口周りの機能を落とさないようにするという
目標を下ろすことになりました。
目標を掲げることがなければ、
どこにどう進んでいけばいいのかよくわからなくなりました。
リスクがあっても口から食べることで
「おいしい」「甘くてほんわかする」
気持ちの揺れが、母の人生に彩りを添えるならば、
口から食べることを継続した方がいいのかも
とすら思ってしまいました。
治療法がないので
どんな努力をしたとしても改善することはなく
ただただ時間を過ごしていくなかで、
辛さを増大させているのは
頭の中ではきちんと状況が理解ができることであり
さらにそれを伝えることができない状況になりつつ
ベッド上に寝ているだけの時間を過ごす母にとって、
どうサポートしたらいいのか
私には何ができるのかと悩ましい。
先日難病の会に参加しました。
そこで出会った難病患者さんが話した言葉が心に残ります。
「経験した人にしかわからないことが多くある」
「最期まであきらめないでいてほしい」
「最期まで自分らしくいたい」
「治らなくても進行を遅らすことで自分らしく楽しく生きる時間が増える」
もう母の口から
こんなに長い言葉を聞くことはないのに、
母の声にも聞こえました。
他の記事はこちらから…介護記事一覧