大脳皮質基底核変性症|胃ろう造設前後の体重推移




大脳皮質基底核変性症|胃ろう造設前後の体重推移

今回は胃ろう造設前後の体重推移を振り返り記録します。

母が食事を取ることができない状態を見続けることは
「母が生きること」を常に意識することであり
私にとって危機迫ることでした。

食事を拒否し始めたきっかけを振り返って思い出すと
風邪を引いたことだったと思います。

それがのちに続く「胃ろう造設するかしないか」を
決断しなければならない事態にまでなるとは
思いも寄らず。


生きるのかそうでないのか
生かせるのかそうでないのか。

母の命を私たち家族が決める事態になろうとは
その当時全く想像もしていなかったのです。

親を看る覚悟が足りなかったといえばそれまでなのですが
いつまでも生きていてくれる
それが当たり前
というどこか楽観的にかまえていたところがあります。




1.母の体重推移



母の身長は158センチ。

8月 39.6kg (風邪をひく)
9月 38.7kg (食事を拒否し始める)
10月 35.3kg (たまに食べることはある)
11月 33.8kg (果物だけは食べる)
12月 32kg (脱水予防の点滴開始、その後中心静脈栄養へ)
1月 23.3kg (胃ろう造設)
2月 31.5kg (胃ろう開始とともに口からも食べれるように)
3月 30.6kg (安定的に口から食べれるようになる)
4月 31.2kg (安定的に口から食べれるようになる)

体重測定は月始に施設が計測してくれているものです。


母の今後のことについて
「どうしていきますか?」
と施設側から看取りの話が出たのが9月後半でした。
食欲の喪失が起きてから約1か月後のことでした。

母が食べなくなったらまず考えなければならないのは
終末期のことなので
施設側の投げかけは
「そろそろ考えておいてください」
ということでした。

その時点の私の考えは
胃ろうに対して積極的ではありませんでした。
それは父のときの経験や
難病の会で経験ある人からの話を
総合して判断していたからです。

2.点滴と中心静脈栄養

12月の時点で
口から取れる食事や水分が必要量に全く満たず
長期間続いているとのことで
点滴で水分補給をすることに急遽なりました。

約2週間くらい点滴をしながら、食事の機会(できるだけ口から食べさせようとしていた)がありました。
気まぐれに少しだけ口にしていたときもありますが、ほとんど口を開かない状態でした。

年末年始を前に(人が手薄になる時期を前に)
施設の担当医師と施設側から
中心静脈栄養の提案がありました。

それを受け入れ、中心静脈栄養を開始したところ
すぐに発熱し、高熱が続く状態になり安定しませんでした。


感染症のリスクを先に説明を受けていたのですが
人によって感染症を引き起こさず順調に進む人もいれば
感染症を引き起こしてそのまま亡くなる場合もあるということでした。


母の発熱は「血液検査の結果、感染症を疑う数値」でした。

母に生きていてほしいと願い
安定的な栄養を入れることを希望したにもかかわらず
感染症になってしまうことは
生きることとかけ離れてしまっているのではないかと
自分を責めました。

特にその頃の母は体重からみても
かなり弱っていたので
感染症になりやすかったのかもしれません。

「助けたい」のに
「助けることができない」のか
と絶望の淵にいました。

それでも
施設のスタッフさんは母とできるだけ会話をし
母が「喉が渇いた」と言えば
ベッドを起こし口に水分を含ませてくれていました。
口から摂取できる嚥下能力を
保とうとしてくれていました。

座っていることができる能力を
少しでも保とうとしてくれていました。

3.胃ろう造設

そんな状況の中、月一の通院日になりました。

奇跡的なのかわかりませんが
それまで続いていて高熱が
前日から解熱し通院できる状況になっていました。

そして通院先の主治医の診察で
「胃ろう造設」の運びとなったのでした。
その際の血液検査結果は
「もうギリギリのところ」
ということでした。

「胃ろう造設」については
病院の指針もあり
予防的な胃ろう造設はできない
ということは以前の通院時から聞いていました。

もし予防的な胃ろう造設を望まれる人は
他の病院でやってもらっていることも
主治医から聞いていました。

主治医が母のために消化器内科に
依頼説明を事前にしてくれていたことを知りました。
ベッドの予約も手術の予約の手配も
すべて主治医からやってくれていたため
スムーズな入院となりました。

4.まとめ

秋頃からの体重減少のきっかけは
夏風邪だったと思いますが
それを境に食事拒否が始まりました。

それがきっかけだったのか
そういう症状が出るタイミングだったのかわかりませんが。

どんどん減る体重と
食事を拒否するならば他からの栄養補給の選択肢は
生きるためにはセットになります。

様々な段階を経て最終的に胃ろう造設になりました。


体重減少が続いているときを振り返れば
母は確かにお腹が空いていました。
「お腹が空いた」とも言っていました。

でもこの大脳皮質基底核変性症から来る食欲の喪失に加えて
体のこわばりが強く、肩に力が入り、歯を食いしばり
食べたい気持ちとは裏腹の体の症状に
母自身が戸惑っていたのかもしれないと最近感じています。

現在のお楽しみ食の母を観察していると
同じように肩に力が入り歯を食いしばっているときには
食事拒否をすることが多いことがわかってきました。

肩に触れるとものすごく力が入っていて
自分でそれを緩めることができないのです。
私ができることはといえば
私なりの方法で母の肩のあたりをマッサージし
少しでもほぐれてくると
口を開けて自分から食べ物を要求することが多くあります。

もしかしたら
秋ごろにそれに気づいていれば・・・
タラレバですが、そんなことをふと考えることもあります。

この大脳皮質基底核変性症は
人によって出る症状がまちまちですが
母の体重減少推移の目安が誰かの参考になれば
と思いまとめました。

多くの人の協力があって母が生きているんだ
とありがたく思っています。


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