【親の介護歴10年超でようやくわかった】調整役ポジションをうまくこなす




【親の介護歴10年超でようやくわかった】調整役ポジションをうまくこなす

このページでは大脳皮質基底核変性症を患う母の闘病記(【親の介護歴10年超でようやくわかった】調整役ポジションをうまくこなす )を記録しています。2024/02/16

親の介護歴10年ともなると、
「親の介護」は私の人生の一部だと感じるようになりました。

実のところ、
多くの悩みや問題があって簡単に片付く話ではありませんでした。
父は認知症。母は10万人に数人という難病。

仕事を急に休まなければならず
転職せざるを得なかったのも事実です。
自分が良い子でありたかったから
という理由で介護を手放すことなく
ここまで来たのでもありません。

放棄したいと思ったことも多々あります。
「介護があるから今日は行けない」など友人の誘いを断ったことも、
子どもの学校行事に参加できなかったことも。
特に親の介護のスタートが周りの人よりも早かったため、「どうして私だけ」と恨めしく思ったこともあります。

毎日、どこにいても、「親の介護」が気にかかります。

とはいえ、
自分の人生を自分でハンドリングし、
悔いのない人生を送りたいもの。

できるだけ私が後悔のないように納得のいく介護をしながらも
「親の介護をしていたから自分はがまんした」
「自分は二の次」
「親のために・・・」
など自己犠牲を正としなくても生きる方法を探してきました。

仕事との両立。
子育てとの両立。
自分の健康との両立。
自分の老いとの両立。
親と私の人生の両立。
あれもこれもうまくやりたい。

10年やってきて
やっと自分の立ち位置の意識で
介護がうまく回るのではないかと最近気づきました。



「母のチーム」を意識する



介護の真ん中は「母」です。
そして母はどんな人に囲まれているのか考えます。

・ケアマネジャー
・主治医
・施設長
・施設看護師
・施設介護士
・施設担当医
・療法士
など。

母にとって必要なことを、
それぞれの役割でもって担ってくれます。
母の生活は、母のチームの人が支えてくれるわけです。
つまりこの役割の人が集合して母の生活が成り立つわけなので、
何か困りごとが起きれば、
困りごとを解決してくれるその人に
役割を発揮してもらうことが必要になります。

自分の立ち位置は調整役である

チームとして活動するには
それぞれが役割を発揮し
目標に向かって行動し続けることが必要です。
自分ひとりで
あれもこれもやってあげたくてやってしまうことが
多い介護の現場ですが、
そこはプロにお任せすると割り切ることが必要です。
そしてチームの中で自分の役割は
「プレーヤー」だけではなく、
「調整役」となることが一番良いように思います。

チームのカナメはケアマネジャーさんです。

ケアマネジャーさんと良好な関係性を作ることが大事です。
良好な関係性というのは
お互いがWinWinの関係でいることです。
そのため日頃から何か変化があった場合の状況の報告は必要ですし、
月1度の面談を実施してもらい
母を見せ対面で会話をします。
そこでケアマネさんに
相談したり解決策を聞いたりします。
介護のプロ中のプロなので
経験談を踏まえて教えてもらえます。
そこでお願いすることがあればお願いをします。

ここで大事なことは
ケアマネさんにお願いしっぱなしにするのではなく、
自分が協力できることがあればそれを明らかにしておくことです。
ケアマネさんは介護のプロなので仕事といえば仕事なのですが、
「一緒に」母の介護をうまくやる「力添え」をしてくれる強い味方
という役割があることを忘れてはいけないのです。

母のチームの他のメンバーも同様です。
それぞれが役割を
うまく最大限に発揮してもらえるように、
自身が「調整役」として行動することが必要です。

心理学に
ザイオンス効果(単純接触効果)というものがあります。

マイナビウーマン
引用:「接触すればするほど印象が良くなる」という心理法則です。

できるだけコンタクトを取り、
母のことを知らせます。
母のためにチームとなってくれた人たちと距離を詰めていきます。
一方的ではなく、共有程度に。

ケアマネさん始めみなさんが仕事をしやすくなるように。
私は母の介護をうまく遂行するために。


まとめ

以前はどうしていいのかわからず、
ケアマネさんに相談もできず、
ひとりで何とか母の介護をうまく回そうとしていました。

でも、私は介護の制度的な知識もありませんし、
介護関係者の伝手もありません。
結局ひとりで抱え込んで
ひとりでパニックになって
ひとりで途方にくれることが多かったのですが、
「調整役」に徹する意識を持ち始めたら
うまくいくようになってきました。
結局、それぞれの知識や技術を持った集団の塊が
チームであって、
それぞれを結ぶ役割の人がいないのです。
つまりそれを私が担うことで、
母の介護の体制がうまく構築され、
うまく回るようになりました。

うまく回るようになったら、
肩の力が抜け、ストレスが少なくなり、
「あれもこれもうまくやりたい」の両立が成立するようになってきました。

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