大脳皮質基底核変性症|タウについて




大脳皮質基底核変性症|タウについて

このページでは大脳皮質基底核変性症を患う母の闘病記(タウについて)を記録しています。2023/11/30

月1度の通院では、母からの体の不調の訴えが少なくなり、私が主治医に質問する時間が増えました。
「大脳皮質基底核変性症」の症状や、対処方法、この先のことなど、いろんな質問をするのですが、主治医は丁寧に回答してくれます。

ここに記録する内容は、母の診察だということを忘れてしまうくらい興味深いと感じた話、タウについてです。

「タウ」とは「大脳皮質基底核変性症」を検索すると必ず出てくる言葉です。
この「タウ」が蓄積されてさまざまな認知機能と運動機能に障害をきたす疾患が大脳皮質基底核変性症であるとネット上で書かれています。

難病情報センター:大脳皮質基底核変性症とは<外部リンク>



タウについて



長年、大脳皮質基底核変性症の患者さんを診てきました。
後輩や仲間の基礎実験を見ていると、この大脳皮質基底核変性症、4リピートタウオパチー(タウオパチー)を持つと動物では一発で死んでしまいます。
これがなぜ起きるのかわかっていません。
人間の脳だから耐えているのですか?
そのとおりです。
人間の脳は表面が大きいように思いますが、中にある白質という原線がすごく発達していてその原線がどうやらぎりぎりまで保っているみたいです。
人間だからこそ長くこの病気を抱えていくわけです。
だから不治の病であり、ゆっくり進行し、長期間抱えているわけですね。
首から下には何も影響がでないというのも特徴的です。
パーキンソン病や多系統萎縮症などの難病は、首から下に影響が出るのですけど、進行性核上性麻痺と大脳皮質基底核変性症は、首から下にほとんど影響がありません。
誤嚥などのリスクを取り環境を整えると、内臓が元気ならば生き続けることができるということですね。
はい、その通りです。
これは正直家族にとっては葛藤であることが多いです。
パーキンソン病や多系統萎縮症などは5年以降に突然死というリスクがかかります。
体に負担がかかって耐え切れなくなって突然死が起こります。
長くゆっくり進行するおかげというべきか、私は親不孝者だったのですが、考える時間を持つことも自分が変わって寄り添うこともできるようになりました。
この病気のご家族様はそう言われることが多いです。

人間だからこそ脳に異常なタウが蓄積されても、発症しながら、長くゆっくりと進行していく「大脳皮質基底核変性症」。
母の様子が変わり、母との関わり方が変わり、母と私を取り巻く人たちに支えられながら、確実に終末期に向かっています。

長い介護期間に思うこと

母が大脳皮質基底核変性症と診断されてからの4年間を振り返ると、母ができる限り今の状態を維持しながら安定した生活を送ることができるように、と一緒に歩みを進めてきました。

何よりも、母と会話をしながら、母の気持ちを確認し、私の気持ちを伝えて、一緒の時間を過ごしてきたことが今真っ先に思い出すことです。

これは主治医との会話にあったとおり、私が自分を見つめ直す機会でもありました。

親との関係性というのは、ひとそれぞれであり、一概にこうだとは言い難いと思っています。

なぜなら、良い時、それは安心して生活を送っている時ですが、面倒なことがない時は、親に限らずまわりにいる人と距離感を保ちながら、うまく付き合っていき、軋轢もありません。

これが、ほんの少しでも歯車が狂う時、それは不安なことが起きてモヤモヤした気持ちやストレスがかかる時ですが、少しの綻びでも、距離感に変化が起きるからか、人との関係性が変わります。

それまでは親とは仲良かったとしても、親が病気や認知症の影が見えてきたとき、自分に何か降りかかってきそうな場合は、いざこざが起こりやすくなります。

子育てをして自分の生活がいっぱいいっぱいである中で、母が困りごと(大脳皮質基底核変性症の症状だったのですが当時は知らず)を言ってくるたびに、お互いに寄り添えないときがありました。


でも、幸か不幸か、このゆっくりと進行していく難病「大脳皮質基底核変性症」のおかげで(おかげというべきか…)、母との会話を楽しむことや、母と一緒に散歩する時間、母とおいしいものを一緒に食べる機会、母と一緒に悩んで立ち向かう勇気などを得ることができました。

そして、母にお礼をたくさん伝えることもできました。

母も私に「ありがとう」をたくさん言ってくれました。

おそらくこの先に起こり得ることが起きた時に、それでも後悔してしまうことや自分を責めることがあると思っていますが、思い出せるように、ここに記録しておきたいと思いました。

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