大脳皮質基底核変性症|リハビリについて




大脳皮質基底核変性症|リハビリについて

このページでは大脳皮質基底核変性症を患う母の闘病記(リハビリについて)を記録しています。2023/10/15

大脳皮質基底核変性症はゆっくりと進行することが症状のひとつですが、母は長期間に渡り大脳皮質基底核変性症の症状と向き合ってきました。

その長い期間を今にして振り返ると、どのリハビリをどのタイミングで行うべきかということがわかってきました。


これは残念ながら、「経験したことを振り返れば」ということであって、母と私の望む「できるだけ備える」はうまくできないまま時が過ぎました。

主治医に話を聞いたり、難病の会に参加し情報を集めたり、ネット検索を行う中で、この病気の多くの情報を集めて、先を見て前もってできるだけ対応しようと心掛けたものの、なかなか難しい状況にありました。

お世話になっている施設の看護師さんや介護士さん、公的機関などで「大脳皮質基底核変性症の方に会ったことがありますか」と聞いても誰もが「会ったことがない」「病名自体知らない」という状況で、この難病の患者数の少なさを実感しました。



難病情報センター:大脳皮質基底核変性症とは<外部リンク>



1.大脳皮質基底核変性症のリハビリの目的(母の場合)

私がなぜ情報を集めたかったのかというと、「できるだけ備える」ということに尽きます。

大脳皮質基底核変性症の症状は、内臓系に影響を与えない。
つまり、大脳皮質基底核変性症になったからといって、心不全を引き起こす可能性が高いというわけではない。
その人が持っている身体的力が寿命になる。
脳の部分だけに影響の範囲があり、母の持っている臓器の強さがそのまま寿命になるということですか?
そうです。他の難病の症状には心不全を引き起こすこともありますがこの難病はそうではありません。
ということは、リハビリを続けることで自分らしさを持ち続けることができるということですか?
そういうことが可能です。

主治医との会話から、リハビリをタイミングよく始めて続けていくことで、機能を維持もしくはゆるやかな下降をたどることを目的としてやっていこうと思いました。

寿命が続く間、ずっとこの難病の進行があって苦しい思いをし続けるならば、
症状が出てもうまく付き合いながら、
自分の体を自分でコントロールすることができる力を持ち続けることが
難病の母にとってベストではないかと思ったからです。

2.大脳皮質基底核変性症のリハビリの必要性(母の場合)

1年前は理学療法士のリハビリを受けていました。

そのリハビリの甲斐があって、右側がほとんど力が入らない(力が入っているのかもわからない)状態でありながらも、自分ひとりの力でベッドから車いすに移乗して、トイレに行くことができていました。

・運動能力を維持するために
・転倒しないように
・少しでも長く自分で自分のことができるように
という目的で理学療法士のリハビリを受けていたのです。

その頃
「お母さんはトイレに行くのがしんどそうだからオムツにした方がいい」
「夜だけオムツにした方が本人のためだ」
などと施設側から言われ、私の考えや思い(母も同じだったと思う)とずれていて悩みました。

オムツをすることは時には母を助ける選択肢のひとつだとわかっています。

でも自分で動く力があるのにそれを止めてしまったら、リハビリをして維持していた母の運動能力がなくなってしまいます。

実際、施設側が母のベッドに柵をしてしまって、母が仕方なくオムツにしてしまうことを繰り返すうちに、自分で起き上がることも、自分でトイレに行きたいと思うことも、ほんの3日足らずで失いました。

「薬(精神安定剤)をもっと飲んだら楽になると思うから飲ませることに同意してほしい」
「薬を飲ませて楽になるのは本人です」
と施設から言われたときも同じで、ずっと眠るようにベッドに横たわっている母の姿を目にしたときは、絶望しました。
もう母の運動能力は一気に下降しました。

運動能力が下降すれば、当然自分らしさはなくなりますよね。
人の手によって自分の生活が成り立つことが多くなるので。

でも、内臓系に難病の影響がないので(母の場合は内臓の病気はなく)、長い間自分ではない人の手によって生きることになります。

長く付き合っていかなければならない病気だからこそ
ゆっくりゆっくり進行していくのが特徴の病気だからこそ
この大脳皮質基底核変性症になったから治らないからと諦めるのではなく
リハビリを続けることで
様々な能力をできるだけ維持していくことが必要だと気づいたのです。

そして、リハビリの種類と難病の進行具合により、適切なタイミングがあることも気づきました。

最近、看護師さんに「リハビリを受けても良くなりませんよ」と言われました。

母の今の状況を見て進言してくれたのかもしれません。

でも「回復」だけがリハビリを受ける目的ではありません。
母のように「維持」もしくは「緩やかな下降」をめざし、できるだけ自分の力で生きてほしいのです。

先日から言語聴覚士によるリハビリがスタートしました。

このスタートにも、制度や医療、介護など多くの調整が必要で、施設スタッフさん、往診の先生、ケアマネさんの多くの連携があり、1か月の時間がかかりました。
母の症状が進むのを見ると、スタートするまでの時間がとても長く感じました。
もう少し前にスタートするべきだったと悔やんだりもしました。
自分の見極めが甘かった、母の状態が安定していると思っていて油断していたことが、適切なタイミングでリハビリをスタートさせれなかった原因です。

私はいま当然のように自分のことを自分で決めて自分で行動しています。
おなかがすけば、食事を用意して、自分で好きなおかずから食べることができます。

では母はどうかというと
いまは施設介護を受けてスタッフさんの手で食べさせてもらっています。

それでも食べたくないときには「食べない」と言ってみたり、嫌そうな顔をしたりして拒否します。
まだ自分でコントロールできる部分があります。

食べない食べれない状況は、確実に嚥下の低下に繋がります。
栄養不足にもなります。

そうなると
どこかのタイミングで胃ろうや経管栄養にしなければならなくなります。
もう自分でコントロールしなくても、毎日毎食同じ量を体の中に入れてもらい生命に必要な栄養分を摂取することになります。

でも前もってリハビリをすることで、もしかしたら少しでも先送りにでき、自分の意志でコントロールすることができるかもしれません。
治療する術がないのが難病ですが、寿命の限り近くまで、できるだけ尊厳を守りながら自分の意思で生きることができることをめざしています。

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