大脳皮質基底核変性症|CT検査の結果




大脳皮質基底核変性症|CT検査の結果

このページでは大脳皮質基底核変性症を患う母の闘病記、CT検査の結果について記録しています。


・難病情報センター:大脳皮質基底核変性症とは<外部リンク>

今回の通院では、CT検査を受けることになりました。
CT検査をするのは4年ぶりです。
「大脳皮質基底核変性症」と診断されることになったあの日に撮影した以来の検査です。
大脳皮質基底核変性症は脳に左右差のある大脳萎縮が見られます。
あの診断を受けた日に見た左右差のある大脳の萎縮が、どの程度まで進んでいるのかを見るために主治医から画像診断を勧められました。



CT検査をすることになった

診察室に入るといつも母は主治医に挨拶をします。
言葉で「こんにちは」のときもあれば、主治医に向けて手を差し出して無事に来たことを表現します。
その後主治医と簡単な会話をするのですが、今回の通院時は呼びかけれらてその方を向くものの関心がないようなたたずまいでした。



今日は一度CTを撮って脳を調べてみよう。
前回のCT検査は「大脳皮質基底核変性症」と診断したときです。
4年ぶりにお母さんの脳をみます。
前回と比較して、それである程度の状態がわかると思います。

大脳皮質基底核変性症は進行とともに脳に左右差のある大脳萎縮が認められます。


・難病情報センター:大脳皮質基底核変性症<外部リンク>

あの診断の日に見た左右差のある大脳の萎縮が、どの程度まで進行しているのかを見るためのCT検査です。
あの時ですら、左脳に萎縮があり、素人の私でも、初めて聞く名前「大脳皮質基底核変性症」がこの特徴的な非対称性の大脳萎縮から起こることを主治医の言葉で理解できた母の脳の画像。
今、母の反応が薄い(母からの発話がない)状況を前にして、普段であれば母の聞こえにくい言葉を私が代弁する係であったのにその任務すら与えられない手持ち無沙汰がさらに私を不安と絶望の闇に引き込もうとしていました。

2.CT検査の結果

進行していますね。
脳のこちらには萎縮はほとんど見られませんが、問題は現在症状が起きている左側です。
この大脳皮質基底核変性症は片側に強く症状が出ます。
お母さんの場合右手がギューッと固まってしまって、右足にもほぼ同様の症状が見えています。
ここが右側の運動を司るあたりです。
この部分、神経細胞が脱落しているのがわかります。
萎縮しています。

主治医は私に画像の一部を指して、わかりやすく教えてくれます。

次にここですね。
言葉を話す部分です。
発話を司る部分です。
ここも同様に萎縮しています。
前回のCT結果と比べてみると、萎縮しているのがはっきりわかります。

主治医は画像の1点を指して教えてくれます。
もはや診断の確定となったCT画像は、正常の脳に見えるくらいきっちり脳が埋まっています。

これで判断する限り、今起きているお母さんからの話しかけがないことを証明しています。
ここに来ると「体が辛い」「体調が悪い」など私に訴えていましたね。
何かしら自分のことを伝えようとしていたと思いますが、今日見るところによるとそれがほとんどないのもこの画像が裏付けています。

主治医の言葉は画像とともに私に深く伝わります。
その証拠に頭の中では「母と話せなくなってしまった」という絶望感が襲ってきました。

そしてもうひとつの大きな問題がここです。

「え?まだあるのですか?」

ここは言葉を理解する部分です。
人の話を聞いて何を言っているのか理解するところです。
ここに萎縮が認められます。

「つ、つまり?」
私がそう言ったのかどうかすら思い出せないほど動揺していました。

お母さんに例えば「お水を飲もう」と声に出して言ったとしても、お母さんはそれが何なのか、それ自体を認識できないということになります。

「それはいつくらいに起こりますか?」
かろうじて言葉として私の口から出たことを覚えています。

それはいつなのかとはわかりません。
そんなに遠くない未来に。
明日かもしれません。1か月先かもしれません。
すでに脳の中では起きていることなので。

今まで少しの希望に向かって走ってきたような気がします。母とともに。

いずれこうなるときが来ると頭でちゃんとわかっていて、それでもそのときを迎えるのを先送りにするために様々なことを試しながら走ってきたつもりでした。
でも、私がやってきたことは、悔いが残らない精一杯のことなのかどうか、わからなくなってきました。
ただ少しでも母の記憶に残るように私から感謝の気持ちを伝えたいなと思いました。



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