挫折から学んだほどよい介護における距離感。3つの心得でほどほどに力を抜く。




挫折から学んだほどよい介護における距離感。3つの心得でほどほどに力を抜く。

「顔も見たくない」「会うのが怖い」
といって親の介護に関わらないで過ごした時期があります。

ケアマネさんからの連絡にも「私はもう関わりません」と宣言したくらい「親の介護」を拒否していた時期がありました。

そんな私が現在では
「十分に親孝行していますね」
「あなたの姿を見ていて私も親に会いたくなりました」
「難病で辛いかもしれませんがお母さんは娘さんと十分な時間を過ごすことができて喜んでいます」
と周囲の人から言われるようになりました。

親の介護に携わってきた10年間で実感したことは
どんなに親が老いても、そこに存在する関係性は「親子」であり常態化しています。
親はずっと親であり、親にとっても子どもの私は親の子ども。
戸籍上だけではなく関係性としてずっと根付いています。

当然の話のようですが
介護の場合、親に育てられた時とは真逆の世話をする(娘や息子)と世話をしてもらう(親)という関係になります。
そんな状態になっても、根底にある「昔から長きにわたる親子関係」は変わらないのです。

親:
「あれをやってほしい」
「ここに連れて行ってほしい」
「いつも近くにいてくれないと困る」
「ちゃんと私のことをやってほしい」

子ども:
「私が支えにならなくては」
「不自由な思いをしている親を放っておけない」
「子どもが親の介護をするのは当然」
「私のやり方にそんなに文句を言うなら自分でやれば」
「不満しか言われなくて気持ちが萎える」

「自分のできないことをすべてやってくれる人」 =(イコール) 「娘や息子」
という見えない束縛に苦しみ、辛くなりました。
自分でコントロールできないような突発的な負の感情(怒り、憎しみ、イライラ、攻撃、喪失感)を持て余し、どうしたらいいのかわからない時も多くありました。
そこで私は自分たちの介護の在り方や親子の関係性にあった距離感を考えるようになりました。





1.自分のコントロール力を意識する

(折り合いのつけ方、心の緩め方)


  • 私の介護は私たち親子の関係性の上に成り立ち、世の中で言われる介護と違ってもいいと思うことにした

  • 何か心がモヤモヤしたら、距離感はいい感じかどうかちょっと考えてみることにした

  • 「深く考えない」と決めて、介護のことを思い出さない時間を強制的に作ることにした

  • 「介護」を「仕事(業務)」として捉えてみることにした

自分を見失うことなく、介護にだけ夢中になることなく、時間の取り方や気持ちの寄せ方だけでも、「介護」を「仕事」として考えればオンオフの切替をする意識ができました。
「介護はこうあるべき」という一般化に捉われず、自分たちにあった「介護」で良く、ほどほど感も自分たちにあったものになり楽になります。

2.親の満足度を上げるよう意識する

(母は穏やかな生活を送ってほしい)


  • 母が望むことを書きだしてみる、それを私がどれくらい実現の手伝いができるのか数値化してみた

  • 母のできることを維持できるようなことを考えてみた

  • 感謝の言葉をたくさん言うようにした

  • できることに満足できるように言葉にしてみるようにした


母の要求にどれだけ応えれるか、10点満点のうち私は4点しか協力できないなと考えれば冷静になります。
そして母に残された時間をできるだけ充実させれば、母の満足度があがり私に対して要求が少なくなるかもしれないと考えました。
私もそうですが、失われたものはよく目につきます。でも今持ち続けているものには気が付きません。
失われたものだけを追いかけて落ち込むことは必然ですが、それでもまだできることもたくさんあります。

「おやつを食べれて良かったね、おいしかったね」
「大きな声が出るね、まだ喉の筋肉はばっちりだね」
「むせないで飲めた、すごーい!」
「お散歩に行けたのはちゃんと座っていることができたからだね、お散歩楽しかった」
と言葉にして伝え続けました。

そうすると不満を口にしていた母は
「良かった」
「できた」
「うれしい」
というプラスの言葉が多くなりました。
母が落ち着けば自然と私も負担が軽くなります。

言葉を失う難病のため、悲しい言葉ではなく、楽しい言葉を、失う直前まで話せるといいなと思っています。

3.自分の将来の介護を想像する

(明日は我が身)


  • 介護されるようになったときの気持ちを想像することにした

  • いまやっていることは自分が介護されるときに役立つと思うようにした

  • 俯瞰的視野を持つようにし良い関係性とはどんな時かと考えるようにした

いつか自分も介護される状況になる可能性はゼロではありません。
それを見据えて介護を俯瞰的に捉えます。
例えば、母と私の上空から様子を見る私がいるというイメージをします(俯瞰的視点)。
母と私は穏やかなのか、それとも怒っているのか、それとも・・・。
それを何となく色でイメージしてみます。

そうすると、他人事のようになり、ふと肩の力が抜けます。

母は幸せを感じる色は「緑」だと言いましたので、俯瞰的に見たときに私たちの周りが緑色の空気感があったら成功です。
またこういう経験はいつか自分がされる側になったときに役立つと思って臨んでいます。
そうすればふと肩の力が抜けて適切な距離感を取れていると思うことができます。

まとめ

母に残された時間をできるだけ穏やかに過ごしてほしいという思いを持って介護をしています。
でも私がそうしたいことと、母がやってもらいたいことはズレます。
そしてずっと存在する「親子関係」でもって、「もっとこうしてほしい」という要求であっても否定されたような気持ちになるものです。
状況が進み介護することが長くなればなるほど疲弊してきます。
介護と距離を置いて適切な関係であれば問題ないのですが親子の感情があるので難しい。
そんなとき、「母の介護は仕事」だと思ってみたり、俯瞰的視野を持つようにしてみるだけでもどっぷりつかった介護から少し抜け出すことができました。

人は順番です、順番に老います。
明日は我が身。
「将来は自分の子どもに迷惑をかけない」と思っていても、期せずして子どもに代行してもらわないとできないことが出てきます。
いまやっている介護はそのときの予行練習だと考えるとふと冷静になれます。
ほどほどに力を抜いた状態に自然となれました。


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