大脳皮質基底核変性症|手の拘縮




大脳皮質基底核変性症|手の拘縮

このページでは大脳皮質基底核変性症を患う母の闘病記、手の拘縮について記録しています。

「拘縮」は大脳皮質基底核変性症の症状です。

難病情報センター:大脳皮質基底核変性症とは<外部リンク>

この病気は片側に強く出るのが特徴で母の場合右側(利き手)に現れています。

上肢(手の機能の完全な消失,拘縮)
大脳皮質基底核変性症(CBD)診療マニュアル 2022 <外部リンク>

母の右手はぎゅっと握られていて肩からL字(見たからにV字)に固まってしまっています。 リハビリを続けてきましたが、病気に抗えず手としての機能は全くありません。そこに腕や手があることすら忘れてしまっているようです。



1.にぎにぎ(通気性ビーズスティック)の使用

母は大脳皮質基底核変性症の診断がおりるまでに4年の時間がかかりました。
症状が出始めたのは右手の痛みと違和感からでした。
診断が下りた時に、症状を振り返りその痛みと違和感が始まったときが発症の時期だわかりました。
母が言うには、「今までの痛みとは異なる痛み」が右手、特に手首から肘の間の部分に起きたそうです。

その痛みで右手を使うことを避けたり、右手が思うように動かなくて使うことをしなくなったりと徐々に左手が右手代わりになりました。
左手で字を書いたり、包丁やハサミなどを左手で使えるようになったり、両手を使う必要のある動作、例えばカバンのファスナーを閉めるという行動は、口やあごを使って片方を押さえながら左手でファスナーを閉めていました。

その頃、右手の痛みはほんの少し触れるだけでも飛び上がるほどの痛み(と母が表現していました)と違和感のために動かさずにずっとそこにありました。

主治医が言うのは
「例えば、かゆいと感じることも、髪の毛がさーっと触れたと感じることも、この病気はすべて痛みに感じます。なので本当の痛みではないため痛み止めといわれる薬を飲んでも痛みが和らぐことがないのです。」と。
本当にそのとおりでした。

そして右手から始まった痛みや違和感が右足にまで拡がって、それが常態化する頃には右手はぎゅっと握られたまま、腕はL字に固定された状態になりました。

ここ最近では、その握りもぎゅーっと強い力で固まってきたので、施設の看護師さんから「通気ビーズスティック」を用意することを提案されました。

これは市販のもので、直径によりSMLサイズがあります。長さ違いの物もあるようです。
タオルをまるめて代用できるとのことですが、母に合う直径サイズがわからないため市販のものを用意しました。

直径サイズの判断は、握りやすいサイズが適当かと思ったら、手を開かせることも目的のひとつなので握ったときに握り切れない少し大きいサイズが良いとのアドバイスを受けてMサイズを使うことにしました。
このにぎにぎ(母と「にぎにぎ」と呼んでいます)は

  • 手の開きを助ける

  • 爪が手のひらにくい込むのを防ぐ

  • 汗の吸収

  • 通気性

  • 臭い予防

という役割を担ってくれます。

2.母の日に寄せて

今年の母の日は何をしようかなと考えていた時にこのにぎにぎに刺繍をすることを思いつきました。

施設では持ち物に記名が必要ですし、他の方のにぎにぎと入れ替わってはいけないので、刺繍で記名することにしました。
母はお花が好きなので花も一緒に刺繍しました。

渡したとき母は「●●(名前)って書いてあるね」「お花もかわいい」と言いました。
私が小さい頃に母が私の持ち物に刺繍で名前を入れてくれたのと同じだよと伝えると、その頃の情景が母の頭の中に浮かんだのか少し間があり「そうだね」と言いました。
そして母と私で昔の話に花が咲きました。

母が言葉を話そうとすることは、口のあたりの筋肉を使うことになり嚥下機能を保つ方法のひとつでもあります。
この母の日のプレゼントをきっかけに母の口まわりのリハビリになりました。
母に話をしてもらうためのきっかけ作りとしてこれからもこの刺繍を介して話題を作ろうと考えています。



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