大脳皮質基底核変性症|親の介護とうまく付き合う対処法




大脳皮質基底核変性症|親の介護とうまく付き合う対処法

このページでは大脳皮質基底核変性症を患う母の介護との付き合い方について、母の主治医からもらったアドバイスを記録しています。

月1回の母の通院時に、母の主治医から「(母の)介護とうまく付き合う対処法」のアドバイスをもらいました。
最近母の病状が進行したため施設で介護してもらうことがとても多くなり周囲の人が困っている状況を把握していたため、良い言葉で言えば「夢中になって」「必死になって」いました。
悪く言えば「視野が狭く」「頑なになって」「親の介護に限界を感じ」ていたという状況だったのかもしれません。
そう自分を例えることができるようになったのは、私に母の主治医がアドバイスをくれたからです。

私は母のところへ毎日のように足繁く通っています。
コロナ感染防止策のため施設は「面会は15分以内」というルールを決めいているため滞在時間はそれ以内にしています。
たった15分でも母は喜び「今度はいつ来てくれるの?」と帰り際に毎回言う母の期待に応えれたらいいなと通っています。
病気の症状のひとつである「うつ」的傾向で同じことを考え続ける「保続」という症状が強いときがあるので、私が会いに行くことで軽くなったりその状況から抜け出すことができるからです。
「易怒性」により施設の人に迷惑をかけている状況を把握しているので、施設にお世話になっている時間のほんのわずかな時間でも、私が母の面倒をみる担当をすることで頻回のトイレのお世話や移動のお世話などを代わることができるからです。
父の介護をしているとき母は毎日父のところへ通っていました。
父が「喜ぶから」という理由で、母が体調を崩していても父のところへ行くことを止めずにいました。
数年間に及ぶ父の介護の期間、欠かさなかったということを覚えています。

難病情報センター:大脳皮質基底核変性症とは<外部リンク>






1.母との距離



お母さんとの距離感を意識してみる
施設に行く回数を少し減らしてみる
週に1度行くだけでも十分だと思う

主治医は「お母さんとの「距離感」を考えてみるといい」とアドバイスをくれました。
「距離感」を意識していたつもりなのですが、最近は「我を忘れて」という表現が正しいのか、その視点に立つことをしばらく忘れていました。
「心理的な距離感を計るのが難しいなら、物理的距離を置く」ということです。
「毎日のように足繁く通うことをいったん止める」ということで「あなた(私のこと)がもう少し元気になれるから」ということでした。
施設に入っているのだから生活のお世話をしてもらえるので「母のために行かなければならないと思うならいったん行くことを少し減らすこと」。

あなたがお母さんに会いたいと思うなら会いに行けばいいんだよ。


2.罪悪感

主治医は私が持っている「罪悪感のようなもの」が強すぎて心配だと言いました。


お母さんのことで人に謝りすぎている
きっとみんなはあなたを責めていないよ

「母に対する罪悪感」と「母の周囲の人に対する罪悪感」です。

・自分の人生を楽しむことで母に会いにいくことが減ったとしても、「お母さんに申し訳ない」と思う必要はほとんどない。
・母が迷惑をかけすぎていると思っている「施設の人たち」に対して「罪悪感」を持つ必要はほとんどない。
・お母さんのそばに行けば様々な状況を見てしまうし、いろんな話が人づてに耳に入ってくるから罪悪感を持つのだろうけど、あなたは十分にやっているので心の中では感謝の気持ちは持てども、申し訳ないと思うことを止めた方がいい。
・他の介護の現場を見ていないので「母だけが」周囲の人たちに迷惑を掛けていると思い込んでしまうが、そうではないことに気づくといい。
とのことでした。



3.母との関係


介護において母と娘の関係は長年の関係性が続いている
多くの患者さんを見てきてとても難しい関係だ

・娘に自分の介護をしてもらおうと考える母親は多く存在するが、いろんな患者さんを見てきた中で難しい関係だと思う。
・口では言わないにしろ「親の面倒をみるのは当然」「娘なら私のために介護をしてくれる」「親の面倒をみないのは罪深いこと」など生活の中で自然と植え付けられてしまうことが多いからだ。
・介護の現場にはそのまま母娘の関係が存在したままで、娘は母親に対して応えようとしてしまう。
・お父さんを毎日見舞ったお母さんの姿を見て、自分もそうであるべきだと「目標」にしてしまったり、母は母で自分が毎日父のところへ行ったのだから娘にそうされて当然と思っていたりすることもある。
・「仲良くいられない」ことにストレスを感じ、「仲良くしよう」と試みるので元気な方が妥協せざるを得ない状況に持って行ってしまう。
・長く深い関係なので状態が良好の場合は「仲良く」いられるが、そうではない状況になったときにはお互いをがんじがらめにしてしまって「仲良くいられない」ことになってしまう。

まとめ

母の症状が進行しそのことで起きる事象を受け止めきれず視野が狭くなり自分をがんじがらめにしてしまっていたことは否めません。
最終的に母を何とかするのは自分ひとりだけしかいないというのは事実なのでどんどん孤立していくのかもしれません。
今回は母の主治医のアドバイスにより気づきをもらい客観的に母の介護を捉えることは自分自身を守るためにはとても重要なことでそれを実践していくことが欠けていたことに気づきました。
「大脳皮質基底核変性症」という難病で、この先どうなっていくのか、介護する側はどんなふうにしたらいいのか、どこに頼ったらいいのか、よくわかりません。
進行する母の様子を見ていると不安に苛まれるのは事実です。
また親子ならではの「情」があるので、客観的に物事をみることが難しく、現在の病気が進行していく母は親子にある関係性を持ち続けています。
「娘は私のためにやってくれるはず」という期待を持っていて私はそれに少なからず応えようとしていることです。
一筋縄では解決しませんが、アドバイスによってふと視点を変えれたことは良かったのかもしれません。

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